外輪野用水
そとわのようすい
山田川中流左岸の河岸段丘上に位置する外輪野一帯を灌漑する、山田川から取水する用水。外輪野は高台にあるため開発は遅れた。明暦年間(一六五五―五八)になって水源を柄谷川(牛滑地内、地元ではからたんと発音する)に求めたことが、外輪野用水の発端であると伝える。元禄元年(一六八八)湯谷川より引水するに至り水請高六一七石余となった。同六年杉原野村(現八尾町)茂右衛門が富山藩主より用水普請を命ぜられ、若土村(現山田村)地内の山田川に水源を求め開削工事に着手した。断崖渓谷を渡り岩石を貫いて隧道とする幾多の難関を突破し、元禄一一年全水路の通水に成功、さらに高八三〇余石を増加し、以来二〇〇年廃藩に至るまで富山藩の維持管理下にあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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