外金久村
そとかねくむら
赤木名村のうちで、その北東部を占める。南西は中金久村。集落は笠利湾の入江に臨み、北方の湾沿いに船蔵・三取屋があるほか、湊尻・持寄・大道や、アジタント、アモタントなどの地名がある。地内のスダゲダにトフル(古い納骨堂)があったという。北東に高岳がある。笠利間切の赤木名方のうち。「大島私考」の祭魚洞文庫本によれば、赤木名村を分けて中金久村・外金久村の両村を立てたとされる。同書の県立図書館本では中金久村・外金久村は記載されていない。しかし「大島代官記」には村名がみえており(成立・編纂の年代および後代の補筆など要検討)、寛政元年(一七八九)大島代官付役の和田半蔵が乱気になって舌を食切ったので、外金久村の座敷牢に入れて、鹿児島藩に問合せたところ、親類一人を連れて鹿児島に召喚され、遠島処分となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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