多度津藩陣屋跡(読み)たどつはんじんやあと

日本歴史地名大系 「多度津藩陣屋跡」の解説

多度津藩陣屋跡
たどつはんじんやあと

[現在地名]多度津町大通り・家中

県道二一号の北側沿いにあるJR四国多度津車輛所内にあったとされている。文政一〇年(一八二七)四代多度津藩主京極高賢の時に幕府の許可を得て、それまでの丸亀城内の部屋住みから当地に陣屋を構えた。以後、明治四年(一八七一)廃藩まで京極氏三代の陣屋であった。

明暦四年(一六五八)京極高和が丸亀城に入り、計六万六七石余を領した。高豊の庶子高通が領内のうち二〇ヵ村、多度たど郡内一五ヵ村・七千一三〇石余(三井組)三野みの郡内五ヵ村・二千八六九石余(上之村組)の表高一万石を分与された。多度津領高帳によれば、分封当初の実高は一万四千六七一石余で、宝永八年(一七一一)には一万五千九石余(多度津領郷村高辻帳)、宝暦一一年(一七六一)一万四千五石余(「巡見使案内諸事覚」松浦文書)、天保郷帳では一万四千八九一石余、旧高旧領取調帳では一万三千九三一石余と増減がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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