日本歴史地名大系 「多度津村」の解説
多度津村
たどつむら
北を瀬戸内海に面する桜川の河口に位置する。古代からの港町として発展し、近世末には多度津藩京極氏の陣屋が置かれた。また近世後期以後は金毘羅参詣の上陸地として繁栄し、廻船・流通業などの一大商業地を形成した。寛永国絵図では
文化五年九月一九日、伊能忠敬一行は多度津で一泊し、測量ののち丸亀に向かっている(伊能忠敬測量日記)。天保五年(一八三四)廻船や金毘羅参詣客の増加で新湛甫建設が着手され、同九年に竣工したが、このとき当村町方の問屋衆も頼母子講銀二二貫文余の掛銀を負担した(「御講銀算用覚」木谷文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報