多度神宮寺跡(読み)たどじんぐうじあと

日本歴史地名大系 「多度神宮寺跡」の解説

多度神宮寺跡
たどじんぐうじあと

[現在地名]多度町多度

多度神社の東方、多度山南麓にあったと伝えられる。延暦二〇年(八〇一)作成された神宮寺伽藍縁起并資財帳(多度神社蔵)によれば、天平宝字七年(七六三)私度僧満願が神社の東の井於道場で、阿弥陀仏を祀っていたところ多度神が現れ、神の身を離れるために仏教に帰依したいとの神託があり、多度大菩薩として仏寺を営むことになったのが創立の由来である。桑名の郡司水取月足は銅鐘・鐘台などを、美濃国県主新麻呂は三重塔を、次いで大僧都賢は三重塔を寄進し、地方豪族層の援助によって三重塔二基を含む伽藍が完成した。また寺領の田地は伊勢国桑名郡・三重郡のほか尾張国海部あま(現愛知県海部郡)にわたり、「合墾田并田代捌拾町肆段参佰肆拾歩」(神宮寺伽藍縁起并資財帳)に達したという。私度僧満願の道場に出発した神宮寺が、この資財帳を僧綱所その他に提出していることは、官寺に準ずる定額寺の扱いを受けていたからであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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