多度山の南麓、多度谷に鎮座する。「延喜式」神名帳の桑名郡一五座のうちに「多度神社名神大」とみえ、同書臨時祭の名神祭条にも「多度神社一座伊勢国」とあり、旧国幣大社。社域の東嶺の磐境から、明和七年(一七七〇)の豪雨の際、三〇面もの銅鏡が発見され、この磐境が最古の鎮座跡であろうと推定されている点や、別宮の
正殿の祭神天津彦根命は「新撰姓氏録」右京神別に「桑名首、天津彦根ノ男、天久之比乃命之後也」とみえ、当地方開拓の桑名首の祖先神であり、天照大神の御子である。別宮一目連神社は天津彦根命の御子神である天目一箇命を祀っている。天目一箇命は「古語拾遺」によれば伊勢忌部の祖で、金属工業の祖神である。民間では片目の竜神で一目竜とよび干天に慈雨を恵む神で雨乞の神、風難除けの神として農・漁民の間に信仰され、第二次世界大戦前には絵馬堂に船主たちの奉納した一目連の天駆ける絵馬がたくさん懸けてあったという。また摂社
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三重県桑名市の旧多度町多度に鎮座。天津彦根命をまつり,別宮一目連(いちもくれん)神社は天目一箇(あめのまひとつ)命をまつる。天目一箇命は天津彦根命の子,桑名首の祖という。社殿東方嶺上に古代祭祀遺跡があるが,創建年代不詳。763年(天平宝字7)に多度神宮寺が創建された。782年(延暦1)従五位下,859年(貞観1)正月正三位,同2月従二位,863年正二位に叙され,887年(仁和3)奉幣にあずかり,延喜の制で名神大社。北伊勢の大社として朝野の崇敬をうけ,元亀年中(1570-73)織田信長の兵火にあい,神宮寺も焼亡したが,桑名藩主本多忠勝が再興,以後累代の藩主の保護をうけ,1867年(慶応3)諸大名の寄進で社殿を造営した。旧国幣大社。例祭は5月4,5日で上馬(あげうま)神事は雄壮さで有名。一目連神社では11月8日にふいご祭が行われる。宝物に〈神宮寺伽藍縁起幷資財帳〉や経塚の遺物とみられる銅鏡,神宮寺跡出土の金銅五鈷鈴などがある。
執筆者:鎌田 純一
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…力尾(ちからお),北猪飼とともに猪飼三ヵ村と呼ばれたこともある。近隣に《延喜式》神名帳の名神大社多度神社および同神宮寺をもち,その神領地として祭祀等にかかわった。1794年(寛政6)の《多度神大祭御神事規式簿》によれば,5月5日の大祭に際し,猪飼三ヵ村を含む7ヵ村の氏子が往古の神領民として神事を勤仕している。…
…範行の子孫の別流は伊勢国桑名郡猪飼の土豪として勢威を張ったが,小串詮通のとき織田信長に滅ぼされたという。この一族は多度神社の神官でもあった。【青山 幹哉】。…
※「多度神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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