日本歴史地名大系 「多田城跡」の解説 多田城跡おおだじようあと 新潟県:佐渡郡畑野町多田村多田城跡[現在地名]畑野町多田字黒根(くろね)の標高一一一・九メートルの丘陵上にある。南北約一〇〇メートル・東西約二〇〇メートルの舌状突出部を利用している。城(じよう)ノ腰(こし)の地名をもつ三つの郭のうち、中央の本丸を中心として、その北西側に土塁があり、井戸跡を残す郭が二ノ丸、その南側が三ノ丸である。南西側の大郭のほかに、細長い小郭がいくつもみられる。城跡東側の低地は多田の街村部で、西側は根小屋集落の小池(こいけ)と黒根である。当城は松(まつ)ヶ崎(さき)湊が国衙領としての役割を果していた頃、その防備のための城であったと思われる。海上からも街道からも、西側の三本の空濠と三方の崖で隠されている。江戸時代になって追善のため作られたものであるが、曹洞宗崇運(そううん)寺の位牌に「開基 多田城主 本間信濃守 大籏院殿転翁崇運居士 寛正四年三月三日」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by