多田組(読み)ただぐみ

日本歴史地名大系 「多田組」の解説

多田組
ただぐみ

宇和島藩地方支配の行政区画である十組の一つ。現宇和町の東部および北部の地域を占める。慶長一九年(一六一四)伊達秀宗の宇和郡就封以降、宇和と称されていた組が、元禄九年(一六九六)再編成で多田組と山田やまだ組に分割された。

大成郡録」によると、太閤検地(天正一五年―文禄三年)における多田組の石高は、一万四〇五石七斗五升三合、寛文検地(寛文一〇―一二年)では、九千五九八石三斗三升三合二勺八才、元禄九年高直しでは一万一千四八〇石五斗一升五合である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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