夜須郡(読み)やすぐん

日本歴史地名大系 「夜須郡」の解説

夜須郡
やすぐん

筑前国の南東部に位置し、東は上座じようざ郡、南東は下座げざ郡、南西は筑後国御井みい郡・御原みはら郡、西は御笠みかさ郡、北は穂波ほなみ郡・嘉麻かま郡に接する。近世の郡域はほぼ現朝倉あさくら郡西部の夜須町三輪みわ町、甘木市の北西部に相当する。

〔古代〕

「延喜式」民部上、「和名抄」諸本に夜須とみえ、武田家本「延喜式」神名帳の傍訓「ヤス」、および後述する地名起源説話から「やす」と読む。「日本書紀」神功皇后摂政前紀・仲哀天皇九年三月二〇日条に、神功が反抗する羽白熊鷲を「層増岐野」で討ち、「我が心則ち安し」と言ったことから、その場所を「安」と名付けたという地名起源説話が載る。確実な評制下の史料は未確認であるが、現小郡市井上いのうえの井上薬師堂遺跡出土の木簡の一つに「夜津評」の記載があり、これは「夜須評」を示すもので、隣接するのちの筑後国御原郡を含む範囲で夜津(夜須)評が編成されていた可能性を指摘する説もある(上岩田遺跡調査概報)。現時点では、大宰府史跡不丁ふちよう地区官衙から出土した天平年間(七二九―七四九)前半頃までのものと推定される付札木簡(大宰府概報二)の一つに「夜須郡苫壱張」「調長大神道祖」、別の一つに「夜須郡天平(六カ)」とあり、これらが郡名の初見と考えられる。「大神道祖」に関しては、「延喜式」神名帳に小社としてみえる於保奈牟智神社(現三輪町弥永に鎮座する大己貴神社に比定)との関係も指摘されている。「万葉集」巻四に大宰大弐丹比県守が民部卿に遷任する際に大宰帥大伴旅人が贈った歌として、「君がため醸みし待酒安の野に独りや飲まむ友無しにして」とある。「和名抄」によれば中屋なかつや馬田うまた賀美かみ雲提うなて川島かわしま栗田くりだの六郷が存在したが、やがて郡郷制の再編により夜須郡は夜須東やすとう郷と夜須西やすさい郷に分割され、「和名抄」東急本では、夜須郡の下に「東西」と注記されている。夜須東郷は治安二年(一〇二二)二月二〇日の筑前国符(石清水文書/平安遺文二)にみえており、筥崎宮塔院領田一六町七段を糟屋西かすやさい郷から夜須東郷へ改充する旨が、筑前国より夜須東郷司に対して命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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