日本歴史地名大系 「夜須郡」の解説
夜須郡
やすぐん
〔古代〕
「延喜式」民部上、「和名抄」諸本に夜須とみえ、武田家本「延喜式」神名帳の傍訓「ヤス」、および後述する地名起源説話から「やす」と読む。「日本書紀」神功皇后摂政前紀・仲哀天皇九年三月二〇日条に、神功が反抗する羽白熊鷲を「層増岐野」で討ち、「我が心則ち安し」と言ったことから、その場所を「安」と名付けたという地名起源説話が載る。確実な評制下の史料は未確認であるが、現小郡市道祖」、別の一つに「夜須郡天平
道祖」に関しては、「延喜式」神名帳に小社としてみえる於保奈牟智神社(現三輪町弥永に鎮座する大己貴神社に比定)との関係も指摘されている。「万葉集」巻四に大宰大弐丹比県守が民部卿に遷任する際に大宰帥大伴旅人が贈った歌として、「君がため醸みし待酒安の野に独りや飲まむ友無しにして」とある。「和名抄」によれば
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報