大久保要(読み)おおくぼかなめ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大久保要」の意味・わかりやすい解説

大久保要
おおくぼかなめ
(1798―1859)

常陸(ひたち)国(茨城県)土浦(つちうら)藩士志士。名は親春、靖斎(せいさい)と号す。土浦藩士親修(ちかのぶ)の長男として土浦に生まれる。文学を松崎慊堂(こうどう)、兵学を竹中茂村、平山子竜らに学ぶ。藩校郁文(いくぶん)館の館頭。兵学教授として藩士の教育にもあたるが、1838年(天保9)土屋寅直(ともなお)が藩主に就任すると、藩政改革を献策、藩主の片腕として尽力した。また藩主が幕政に関与すると、公用人として補佐する一方、多くの志士、とりわけ水戸藩士と交際して国事を論じた。水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の雪冤(せつえん)運動を助け、また討幕密勅の水戸藩への降下運動に関係して、安政(あんせい)の大獄では永押込(えいおしこめ)の処罰を受けた。土浦藩の獄舎で病没

[佐久間好雄]

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朝日日本歴史人物事典 「大久保要」の解説

大久保要

没年:安政6.12.13(1860.1.5)
生年:寛政10(1798)
幕末の土浦藩(茨城県)藩士。幼くして父母に別れ,祖父に育てられた。江戸に遊学し,帰藩ののち藩の要路に加わる。天保8(1837)年藩校郁文館が新設され館頭,嘉永3(1850)年藩主土屋寅直が大坂城代に任命され,公用人として随従。安政1(1854)年,ロシア船の大坂来航に際してはこれとの折衝に当たり去らせた。尊王派の志士とみられていて,同5年5月大坂に潜行して来た大原重徳と面談。同年8月戊午の密勅を内達され,有馬新七の訪問を受ける。幕府の嫌疑を受け,同6年10月永押込に処せられ,土浦に病没した。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大久保要」の解説

大久保要 おおくぼ-かなめ

1798-1860* 江戸時代後期の武士。
寛政10年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)土浦藩士。江戸で兵学をまなぶ。目付役,町奉行,藩校郁文(いくぶん)館の館頭をつとめる。嘉永(かえい)3年大坂城代となった藩主土屋寅直(ともなお)を公用人として補佐。安政5年水戸藩への密勅降下(戊午(ぼご)の密勅)運動に参画し禁固となった。安政6年12月13日死去。62歳。名は親春。字(あざな)は子信。号は靖斎。

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世界大百科事典(旧版)内の大久保要の言及

【土浦藩】より

…一方,1833年には領内常陸新治郡坂村で百姓一揆が発生する等,各所で不穏な情勢が起きた。このため,38年土屋寅直の襲封前後より,その側近大久保要らを中心に藩政改革の気運が起こり,儒学者藤森弘庵や同藩の名主出身で水戸藩天保検地の実務を担当した農政学者長島尉信らを登用し,農村の復興政策や藩士の教育,軍制の改革が試みられた。幕末期には水戸藩の影響を受け,飯泉一蔵,佐久良東雄ら尊王攘夷派の志士が出たが,安政の大獄で大久保要以下が処罰されると,改革も中断し明治維新に及んだ。…

※「大久保要」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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