大伴郎女(読み)おおとものいらつめ

朝日日本歴史人物事典 「大伴郎女」の解説

大伴郎女

没年神亀5(728)
生年:生年不詳
奈良時代貴族の女性。大納言大伴旅人の妻。旅人大宰帥として筑紫に赴任したとき,これに同行,神亀5(728)年の春から夏の間に同地で病死した。その死を弔問する勅使として都から石上堅魚が派遣されており,旅人の嫡妻とされていたことがわかる。このとき旅人は64歳。おそらくはごく近い同族であり,長く生活をともにしたらしい妻の死は,旅人にとって大きな痛手であった。筑前守山上憶良は,異郷で妻を失った旅人の心を思いやって挽歌を送っているが,旅人自身も「ひとり断腸の泣を流す」と悲痛な思いを書簡に記している。その後も旅人は折に触れて妻をしのぶ歌を作っており,天平2(730)年大納言として上京する途上の,さらには,ふたりで暮らした京の宅に帰ったときなどの歌が残されている。旅人の嫡男家持は,神亀5年当時11歳であったが,その母については天応1(781)年まで生存が確認されている。郎女自身の子供については不明。

(西野悠紀子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大伴郎女」の解説

大伴郎女 おおともの-いらつめ

?-728 奈良時代,大伴旅人(たびと)の妻。
大宰帥(だざいのそち)として筑紫(つくし)に赴任する夫に同行し,神亀(じんき)5年同地で没した。「万葉集」巻8に旅人がなき郎女をおもう歌がある。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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