遣渤海使(読み)けんぼっかいし

大辞林 第三版の解説

けんぼっかいし【遣渤海使】

728年から811年まで、一三回にわたって、日本の朝廷から渤海に派遣された外交使節。渤海から文物制度をもたらすとともに、日本と唐との中継に大きな役割を果たした。

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百科事典マイペディアの解説

遣渤海使【けんぼっかいし】

728年から811年の間に日本から渤海に派遣された使節。727年渤海は対立する新羅(しらぎ)への牽制の意図もあって日本に使節を派遣,翌年日本は渤海使の送使を派遣した。計13回の使節のうち10回は送使であった。日本からの使節派遣がなくなってからも,渤海は貿易を目的とした使節を送り続け,毛皮・人参・蜂蜜などをもたらした。

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世界大百科事典 第2版の解説

けんぼっかいし【遣渤海使】

728年(神亀5)から811年(弘仁2)まで約80年余にわたって日本から渤海へ派遣された13回の外交使節。渤海は698年旧高句麗領の大半を拠点とする高句麗人が各地の靺鞨(まつかつ)人を支配下に置く形で自立したが,当初より唐の冊封(さくほう)を受け,渤海郡王を称したのみでなく,西北の突厥,南の新羅に取り囲まれたきびしい国際環境にあった。727年渤海使の初来航の意図は,このような情勢下で新羅を背後より牽制するために日本と結ぶことにあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

遣渤海使
けんぼっかいし

728年(神亀5)から811年(弘仁2)にかけて日本から渤海に13回にわたって派遣された公式の使節。日本と渤海(698~926)との交渉は727年の渤海使来日に始まり、翌年初めて遣使が行われた。渤海の来日の目的は、唐と対立し、唐・新羅(しらぎ)から挟撃された形勢を打開することにあったが、日本も新羅を避けて渡唐する経路として渤海を利用するために派遣を開始した。やがて渤海と唐との関係が修復されると、日渤国交の性格も政治的なものから経済・文化的なものへ変質し、日本は絹糸、織物、漆などをもたらし、渤海からは高級毛皮、ニンジン、蜂蜜(はちみつ)などがもたらされた。渤海使の来日は、919年(延喜19)まで34回に及ぶ。[鈴木靖民]
『新妻利久著『渤海国史及び日本との国交史の研究』(1969・東京電機大学出版局)』

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世界大百科事典内の遣渤海使の言及

【渤海】より

…こうした情勢の下で727年新羅を牽制することのできる勢力である日本に使節を派遣して,日本と結ぼうとした。ここに渤海と日本の国交が開始され,以後919年(延喜19)まで続くが,その間渤海からの使節の来日は34回に及び,一方,日本からの遣渤海使派遣は13回で,その多くは渤海の使節を送る使であった。こうした両国の通交の歴史は,大きく2時期に区分できる。…

※「遣渤海使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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