大倉桃郎(読み)オオクラ トウロウ

20世紀日本人名事典 「大倉桃郎」の解説

大倉 桃郎
オオクラ トウロウ

明治〜昭和期の小説家,児童文学者



生年
明治12(1879)年11月17日

没年
昭和19(1944)年4月22日

出生地
香川県仲多度郡本島村

本名
大倉 国松

別名
別号=琴峰,黒風自雨桜,舟町彩二

経歴
少年時代、海軍工廠の造舟図工をしていたが、後に上京して国語伝習所で国語を学ぶ。「文庫」に多くの作品を投稿し、「万朝報」の懸賞小説で「女渡守」など多くの作品が1等当選作となる。日露戦争前後2度にわたって応召、従軍中の明治38年「琵琶歌」が大阪朝日新聞第1回懸賞小説に入選し一躍文名があがる。40年「万朝報」記者となり、大正13年退社後、執筆に専念する。以後、家庭小説、歴史小説を書きつづけ、晩年は講談社の「少年倶楽部」などの常連執筆者として「おや星子星」など少年少女小説を多く書いた。他の作品に「旧山河」「平和の日まで」「屍の中より」「万石浪人」「少年戦線」「中江藤樹」「頼山陽」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大倉桃郎」の解説

大倉桃郎 おおくら-とうろう

1879-1944 明治-昭和時代前期の小説家。
明治12年11月17日生まれ。日露戦争に出征中,「大阪朝日新聞」懸賞小説に応募した「琵琶(びわ)歌」が入選。帰還後,「万朝報(よろずちょうほう)」の記者となる。歴史ものと少年少女小説で活躍。昭和19年4月22日死去。66歳。香川県出身。本名は国松。別号に琴峰,黒風白雨楼。作品に「平和の日まで」「万石浪人」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大倉桃郎」の解説

大倉 桃郎 (おおくら とうろう)

生年月日:1879年11月17日
明治時代-昭和時代の小説家。万朝報記者
1944年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大倉桃郎の言及

【家庭小説】より

…必ずしもハッピー・エンドを心がけてはいないが,ときに明るい解決を目ざしたものもあり,〈光明小説〉と呼ばれた(中村春雨の《無花果(いちじく)》(1901)など)。その展開は,尾崎紅葉の《金色夜叉(こんじきやしや)》(1897‐1902),徳冨蘆花の《不如帰(ほととぎす)》(1898‐99)あたりを先駆とし,菊池幽芳の《己が罪》(1899‐1900),《乳姉妹》(1903)などをピークに,草村北星の《浜子》(1902),《相思怨》(1904),田口掬汀(きくてい)の《女夫波(めおとなみ)》(1904),《伯爵夫人》(1905),大倉桃郎(とうろう)の《琵琶歌》(1905)などが続出し,その脚色による新派劇の興隆と相まって,大正の柳川春葉《生(な)さぬ仲》(1912)などに及んでいる。【岡 保生】。…

※「大倉桃郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android