大阪朝日新聞
おおさかあさひしんぶん
1889~1940年大阪で発行された『朝日新聞』。 1879年大阪で創刊された『朝日新聞』は,東京進出のため 88年『めざまし新聞』を買収。7月から『東京朝日新聞』と改題発行した。それに伴い翌 89年1月3日から大阪は『大阪朝日新聞』と改題。その直後の2月 11日発布の大日本帝国憲法全文を電報で送信して号外を出し,報道新聞の基礎を固めた。 1915年の第1回全国中等学校野球大会開催など,営業の好アイデアもあって,『大阪毎日新聞』と激しく競争しながら日本一の全国紙へ発展していった。 18年,寺内内閣弾劾キャンペーンのなかで白虹事件 (はっこうじけん) が起り,大阪朝日は紙上に陳謝文を掲げて屈服,鳥居素川,長谷川如是閑,大山郁夫らの人材が退社した。その後「大隅党の御用新聞」と評されたほどに社の方針は一党の政論に傾き,時には「忠君愛国」をスローガンとするほどであった。 37年,東京朝日と共同で国産機『神風』号の亜欧新記録飛行を達成。用紙不足と業界統制で新聞の合併が相次ぐ 40年9月1日からは,大阪朝日も東京朝日も『朝日新聞』として発行されることになった。
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大阪朝日新聞
日本の新聞のひとつ。1879年、大阪で「朝日新聞」として創刊。1888年に同新聞社が「灯新聞」を買収して東京に進出、「東京朝日新聞」の刊行が開始されたことに伴い、翌年から大阪版は「大阪朝日新聞」と号するようになった。名物コラム「天声人語」は本紙で1904年から始まったもの。1940年、「東京朝日新聞」と題号を統一、全国紙「朝日新聞」となる。
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出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報