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中江藤樹 なかえ とうじゅ

美術人名辞典の解説

中江藤樹

江戸前期の儒者。日本陽明学の祖。近江生。名は原、字は惟命、別号に嘿軒・顧軒等。伊予大洲候に仕え、のち故郷に講説する。世に近江聖人と称せられる。慶安元年(1648)歿、41才。

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百科事典マイペディアの解説

中江藤樹【なかえとうじゅ】

江戸初期の儒学(陽明学)者。名は原(はじめ),字は惟命(これなが),通称は与右衛門(よえもん),【もく】軒(もくけん)と号した。近江(おうみ)の人。伊予(いよ)大洲(おおず)藩,加藤家に仕えたが,母への孝養を名目に致仕を願い,許されず脱藩した。
→関連項目愛敬安曇川[町]集義和書儒家神道儒教藤樹書院三輪執斎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中江藤樹 なかえ-とうじゅ

1608-1648 江戸時代前期の儒者。
慶長13年3月7日生まれ。日本の陽明学の祖。伊予(いよ)(愛媛県)大洲(おおず)藩につかえる。27歳のとき,母への孝養を名目に脱藩して郷里の近江(おうみ)(滋賀県)高島郡上小川へかえる。朱子学から陽明学に転じ,村民を教化。近江聖人としたわれた。弟子に熊沢蕃山(ばんざん)がいる。慶安元年8月25日死去。41歳。名は原。字(あざな)は惟命。通称は与右衛門。別号に嘿軒。著作に「翁(おきな)問答」「孝経啓蒙(けいもう)」「大学考」など。
【格言など】言うに忠信,行うに篤敬(「藤樹規」)

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世界大百科事典 第2版の解説

なかえとうじゅ【中江藤樹】

1608‐48(慶長13‐慶安1)
江戸初期の儒学者。日本における陽明学派の始祖とされる。名は原,字は惟命(これなが),通称は与右衛門。藤樹は号,別号は嘿軒(もくけん),顧軒。祖父吉長は伯耆国米子藩主加藤貞泰の家臣。父吉次は近江国高島郡小川村で農業に従い,北川氏を妻とし1男1女を生む。藤樹はその長男。9歳で祖父に引き取られ,翌年加藤家の転封にともない,伊予国大洲に移住した。17歳で《四書大全》を読み,朱子学に傾倒していく。19歳のとき郡奉行として在職。

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大辞林 第三版の解説

なかえとうじゅ【中江藤樹】

1608~1648) 江戸初期の儒者。近江の人。名は原、字あざなは惟命これなが、通称与右衛門。伊予国大洲藩に仕えたが、のち帰郷。初め朱子学を信奉、孝の徳目を重んじ「翁問答」を著す。晩年、王陽明の著書に接し、我が国陽明学の祖となる。村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称された。門下に熊沢蕃山がいる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中江藤樹
なかえとうじゅ

[生]慶長13(1608).3.7. 近江
[没]慶安1(1648).8.25. 近江
江戸時代前期の儒学者。日本陽明学派の祖。名は原,字は惟命,通称は与右衛門,号は黙軒,顧軒。父は吉次。近江聖人と称される。 11歳で『大学』を読み,儒学の道に志し,15歳のとき祖父に代り大洲加藤家に仕えた。 27歳のとき母への孝養のため致仕を願い出たが許されず,脱藩して近江小川村に帰り,学を講じ,村民の教化に従った。初め朱子学を修めたが,33歳のとき『王龍渓語録』,37歳で『王陽明全書』を読み,知行合一説に従い陽明学を主唱した。熊沢蕃山,淵岡山らの弟子がある。仏教は排斥したが,神は崇拝し,太虚神道を唱えた。著書『翁問答』のほか『孝経啓蒙』 (1641起筆) ,『鑑草』 (46) ,『大学解』『中庸解』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中江藤樹
なかえとうじゅ
(1608―1648)

江戸初期の儒学者で、日本の陽明学の祖。名は原(げん)、字(あざな)は惟命(これなが)。通称は与右衛門(よえもん)(もくけん)または顧軒(こけん)と号す。近江(おうみ)国高島郡小川村(滋賀県高島市安曇川(あどがわ)町上小川)に生まれる。9歳で、伯耆(ほうき)国米子(よなご)(鳥取県)の加藤侯に仕える祖父吉長の養子となる。主の転封に従って伊予国大洲(おおず)(愛媛県)に移る。15歳で祖父が没したあとは禄(ろく)100石を受けた。1634年(寛永11)27歳のときに、郷里の母への孝養のため致仕を願い出るが許されず、脱藩して郷里小川村に帰り、母に仕えつつ学問と教育に励む。時人、彼を藤樹先生、また近江聖人とよんだ。
 藤樹の思想の展開は3期に分かれる。前期は27歳の大洲脱藩まで。11歳で『大学』の「身ヲ修ムルヲ以(もっ)テ本ト為(な)ス」の語に感激して学に志し、やがて『四書大全』を得て朱子学を奉ずる。学の核心は博学洽聞(こうぶん)にではなく、心と行為の正しさを得るにあるとの徳行重視の見地にたった。しかし、やがてあらゆる場面の行為の妥当性を厳しく求める朱子学の形式主義に疑いを抱くに至る。
 中期は31歳から37歳まで(27歳から31歳までは過渡期)。彼は帰郷すると、朱子学の重んずる四書ではなく五経に拠(よ)って思索を重ね、33歳のときには『王竜渓語録』を読んで陽明学に接し、朱子学から離脱して独自の思想を形成する。同年『翁問答(おきなもんどう)』を著す。中期では大乙(たいいつ)神信仰の開始と心学の提唱とがとくに注目される。彼は、万物を生みかつ主宰する神秘的超越者大乙神の実在を確信し、大乙神の尊崇と祭祀(さいし)とを自ら実践し、また人に説いた。朱子学的合理的神観念とは異なる神観念を形成したのである。彼は、それに伴って、大乙神の要請であるとして心学を説いた。人は内面=心に優れた道徳的能力(明徳)を備える、この心の明徳を明らかにすること(明明徳)こそが修身の中心課題である、人がこの明明徳を成就(じょうじゅ)するときあらゆる場面の行為の妥当性が保証される、と説いた。内面=心をあくまで重視しつつ外的行為の妥当性を求める藤樹心学の成立である。
 後期は37歳以後である。彼は37歳で『陽明全集』を読んで陽明学に共鳴し、これを取り入れつつ独自の思想を形成した。中期の思想が、内面の正しさとともに行為の妥当性を求める、外に向けての実践的・動的傾向をもっていたのに比し、この時期では、外的行為の妥当性をあまり重視せず、内面=心の正しさによりもたらされる心の平安をこそ重視する静的傾向が顕著である。[玉懸博之]
『山井湧・山下龍二・加地伸行校注『日本思想大系 29 中江藤樹』(1974・岩波書店) ▽『日本教育思想大系 中江藤樹』複製、全2冊(1979・日本図書センター) ▽山住正己著『朝日評伝選 17 中江藤樹』(1977・朝日新聞社)』

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367日誕生日大事典の解説

中江藤樹 (なかえとうじゅ)

生年月日:1608年3月7日
江戸時代前期の儒学者
1648年没

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世界大百科事典内の中江藤樹の言及

【安曇川[町]】より

…湖岸に沿って国道161号線が走り,JR湖西線も開通したため,住宅地化や工業化が進みつつある。中江藤樹の生地で書院跡は史跡に指定されており,記念館もある。【松原 宏】。…

【伊予国】より

…藩学は大洲藩の止善書院明倫堂(1747),宇和島藩の内徳館(1748,のち敷教館,明倫館,明誠館),新谷藩の求道軒(1783),吉田藩の時観堂(1794),小松藩の培達校(1802,のち養生館),松山藩の興徳館(1805,のち明教館),今治藩の講書場(1805,のち克明館),西条藩の撰善堂(1805)がある。学者としては,日本陽明学の祖中江藤樹は大洲藩に仕えて大きな影響を残し,その学派に川田雄琴がある。宇和島藩の内徳館教授安藤陽州は京都古義堂の出身であり,寛政期に岡研水が朱子学を導入した。…

【翁問答】より

中江藤樹の著書。1641年(寛永18)に成立。…

【孝】より

… 近世に入って,家の制度が確立し,儒教が教学の中心に据えられると,孝は道徳の根本として取り上げられるようになった。母への孝行に徹した中江藤樹は,孝を基本とする独特の教えを説いたが,孝の強調の中で,浅井了意の《大倭二十四孝(やまとにじゆうしこう)》をはじめ,孝を中心とする数々の教訓本があらわれた。幕府や諸藩は孝子の表彰を盛んに行い,教化に努めたが,他方で主君に対するが強調されるようになると,忠は孝に優先すると説かれることになった。…

【徳】より

… 江戸期の思想史のその後の歩みは,こうした徳の概念を問題の必要に応じて解読し直し定義し直すことにあった。中江藤樹は《孝経》に注目し徳の要(かなめ)は孝にあるとした。伊藤仁斎は〈徳は仁義礼智の総名〉(《語孟字義》)とした。…

※「中江藤樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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