朝日日本歴史人物事典 「大友親世」の解説
大友親世
生年:生年不詳
南北朝・室町時代の武将。氏時の次男。通称孫太郎。左馬助,式部丞,修理権大夫。応安4/建徳2(1371)年11月以前に兄氏継から家督と豊後守護職を相続。以後,45年にわたり家督の地位にあり,大友中興の祖といわれる。豊後,日向,肥後,筑後守護職を兼帯。永徳3/弘和3(1383)年当時でその所領所職は86カ所にものぼった。九州探題今川了俊と共に南朝の征西将軍宮方と戦うが,応永2(1395)年,義父大内義弘と謀って了俊を失脚させる。同6年,親世に反して豊前国を支配した従弟氏鑑を討ったとの記述もみえるが定かではない。同8年,家督は氏継の子親著に譲られている。<参考文献>『増補訂正/編年大友史料』8,9巻
(福川一徳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報