日本歴史地名大系 「大友郷・大友庄」の解説
大友郷・大友庄
おおどもごう・おおどものしよう
現小田原市
「吾妻鏡」文治四年(一一八八)一二月一七日条には、当時大友氏の始祖の能直が病気療養のため大友郷に居住していたと記されている。能直の母は波多野経家の娘で大友局とも称した(「豊後大友家系譜」増補訂正編年大友史料)から、平安時代末には波多野氏の所領であったかもしれない。能直は貞応二年(一二二三)一一月二日「大友郷地頭郷司職」を妻の尼深妙に譲り(「大友能直譲状案」志賀文書)、深妙は延応二年(一二四〇)四月六日、この職を嫡男大友親秀に譲与した(「尼深妙所領配分状」県史一)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報