日本歴史地名大系 「大増村」の解説 大増村おおますむら 長崎県:上県郡上対馬町大増村[現在地名]上対馬町大増浜久須(はまくす)浦の南西にあり、舟志(しゆうじ)浦の西の入江に臨む。舟志から海路一四町で(津島紀事)、大増村と舟志村の間にある無人の小浦小増(こます)は当地との関連がうかがえる。年未詳(永禄年間か)の五月五日の宗晴康書状(豊崎郷給人等判物写)に「大ます」とみえ、豊崎給人に対して同所が給地または百姓の抱地であるとしている。元亀四年(一五七三)浜の上地として「大ますの」などの地を明地とすることが武本監物助に指示されている(同年九月一五日「宗義調書下」同判物写)。 大増村おおますむら 茨城県:新治郡八郷町大増村[現在地名]八郷町大増加波(かば)山の東麓、府中(現石岡市)に通ずる街道沿いにあり、東は太田(おおた)村、南は大塚(おおつか)村。弘安大田文に北郡として「大増尾六丁六段」とあり、文安三年(一四四六)二月一八日の憲景譲状(臼田文書)に「常州北郡大増郷」とある。江戸初期に小田原藩領となり(寛文朱印留)、のち天領となる(各村旧高簿)。元禄郷帳の村高は七〇七石余、文政一二年(一八二九)は一千三〇〇石余(「柿岡村外五十二組合村役人連印」綿引家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by