日本歴史地名大系 「大姶良郷」の解説 大姶良郷おおあいらごう 鹿児島県:鹿屋市大姶良郷鹿児島藩の外城の一。肝属(きもつき)郡に属し、北は鹿屋郷・花岡(はなおか)郷、東は姶良(あいら)郷(現吾平町)、南は大根占(おおねじめ)郷。もとは花岡郷の地域も郷域としたが、享保九年(一七二四)から翌一〇年にかけて木谷(きだに)村などが分郷され、以後大姶良村・獅子目(ししめ)村・横山(よこやま)村・浜田(はまだ)村・西俣(にしまた)村・南(みなみ)村・野里(のざと)村の七ヵ村で構成された。中世には南部が禰寝北俣(ねじめきたまた)、東部が姶良西俣(あいらにしまた)、北西部は下大隅郡に属した。なお「和名抄」に大隅郡大阿(おおあいら)郷がみえる。天正四年(一五七六)肝付氏は島津氏に服し、同一五年以降は伊集院幸侃(忠棟)が肝属郡を知行した。諸郷地頭系図はこの頃の地頭を伊集院久光としている。文禄四年(一五九五)島津氏の直轄領となった。慶長年間(一五九六―一六一五)以降、阿多(あた)(現金峰町)や志布志(しぶし)などから郷士(小山家・池田家など)が移り、大姶良村に地頭仮屋が置かれ、麓が形成された(鹿屋市史)。諸郷地頭系図は伊集院久光の次の地頭として鮫島筑右衛門をあげる。なお西俣村は寛永一一年(一六三四)に、野里村は享保九年に垂水島津家の持切在となった(「隅府温故集」垂水市史料集)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by