大島健一(読み)オオシマ ケンイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大島健一」の解説

大島 健一
オオシマ ケンイチ


肩書
陸相,枢密顧問官,貴院議員(勅選)

生年月日
安政5年5月9日(1858年)

出生地
美濃国(岐阜県)

学歴
陸士〔明治14年〕卒

経歴
明治14年砲兵少尉、陸士教官を経て23〜27年ドイツ留学。砲工学校教官、30年監軍部参謀兼山県有朋元帥副官、参謀本部員、日露戦争で大本営兵站総監部参謀長、39年参謀本部第4部長、41年参謀本部総務部長、45年参謀次長を歴任。大正2年中将となり、3年陸軍次官、5年大隈重信内閣の陸相、寺内正毅内閣にも留任、日中陸軍共同防敵協定の調印シベリア出兵などに携わった。7年青島守備軍司令官、8年6月予備役。9年勅選貴院議員、昭和15〜21年枢密顧問官。

没年月日
昭和22年3月24日

家族
長男=大島 浩(陸軍中将)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「大島健一」の解説

大島 健一
オオシマ ケンイチ

明治・大正期の陸軍中将 陸相;枢密顧問官;貴院議員(勅選)。



生年
安政5年5月9日(1858年)

没年
昭和22(1947)年3月24日

出生地
美濃国(岐阜県)

学歴〔年〕
陸士〔明治14年〕卒

経歴
明治14年砲兵少尉、陸士教官を経て23〜27年ドイツ留学。砲工学校教官、30年監軍部参謀兼山県有朋元帥副官、参謀本部員、日露戦争で大本営兵站総監部参謀長、39年参謀本部第4部長、41年参謀本部総務部長、45年参謀次長を歴任。大正2年中将となり、3年陸軍次官、5年大隈重信内閣の陸相、寺内正毅内閣にも留任、日中陸軍共同防敵協定の調印、シベリア出兵などに携わった。7年青島守備軍司令官、8年6月予備役。9年勅選貴院議員、昭和15〜21年枢密顧問官。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島健一」の解説

大島健一 おおしま-けんいち

1858-1947 明治-大正時代軍人
安政5年5月9日生まれ。大島浩の父。明治14年陸軍砲兵少尉。33年山県有朋(やまがた-ありとも)元帥の副官をつとめ,日露戦争では兵站(へいたん)総監部参謀長。大正2年中将となり,陸軍次官をへて5年第2次大隈(おおくま)・寺内両内閣の陸相に就任。のち貴族院議員,枢密顧問官。昭和22年3月24日死去。90歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大島健一」の解説

大島 健一 (おおしま けんいち)

生年月日:1858年5月9日
明治時代;大正時代の軍人
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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