大崩村(読み)おおくずれむら

日本歴史地名大系 「大崩村」の解説

大崩村
おおくずれむら

[現在地名]身延町大崩

富士川支流の桑柄かがら(桑柄川)沿いの山間に位置し、北は椿草里つばきぞうり村。村名は渓流が岩を削る地形にちなむという。元禄郷帳・天保郷帳に椿草里村枝郷と注記される。当地の佐野家には以下の文書が伝えられていた。弘治三年(一五五七)二月一二日の穴山信友判物(佐野弘児家文書)、天正八年(一五八〇)正月二六日の穴山信君判物写(「河内領古文書」若尾資料)および同年一〇月一二日の穴山信君判物(佐野弘児家文書)によると、それぞれ「大くつれ」「大崩」居住の助左衛門尉・孫三郎・孫左衛門尉は、山造奉公を命ぜられる替りに棟別諸役などを免除されている。


大崩村
おくずれむら

[現在地名]鋸南町大崩

佐久間中さくまなか村北部の東に位置する山村。元和検地の際に佐久間村が分立して成立したとみられる。妙本寺年中行事(定善寺文書)に「佐久間郷大崩おおくつれノ村」とみえ妙本みようほん寺日永は当地の出身とある。なお地名の読みは明治一三年(一八八〇)の郡区町村名調にもオホクツレの訓が付してあり、近代まではオオクズレであったとみられる。正保郷帳に村名がみえ、田高一三六石余・畑高一三八石余、佐倉藩領。万治二年(一六五九)の佐倉藩勝山領取箇帳(吉野家文書)によると、高二七五石余のうち一〇八石余は無地高、九石余は永荒で残高一五七石余。うち田方九八石余(免四ツ七分)・畑方四七石余(免三ツ二分)・新山畑六石余(免二ツ二分)・山役五石(免三ツ)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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