朝日日本歴史人物事典 「大庭恭平」の解説
大庭恭平
生年:天保1(1830)
幕末維新期の会津藩(福島県)藩士。名は景範,松斎と号した。会津藩士の家に生まれ,文久2(1862)年藩主松平容保が京都守護職に任命されると,藩主の上洛に先立って京都に入り,諸浪士と往来,翌文久3年,等持院に安置された足利3代の木像の首を切るという,いわゆる足利事件を引き起こした。そのため上田藩(長野県)に幽閉されたが,明治に入ると秋田,青森などの県官を歴任。人となりは一本気で「身小にして胆大なり」「任侠にして権貴を畏れず,交友に厚く好みて人の急を周ふ」と評された。<参考文献>馬場瑞園編『旧会津藩先賢遺墨附伝』
(家近良樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報