大慈寺跡(読み)だいじじあと

日本歴史地名大系 「大慈寺跡」の解説

大慈寺跡
だいじじあと

[現在地名]鎌倉市十二所

明王みようおう院の東側一帯を旧跡というのが通説であるが、天保一〇年(一八三九)編「五大堂事蹟備考」(明王院蔵)は「此大慈寺トハ五大堂ノ艮ニ当リ、三町程ニシテ桐ガ沢ニ旧蹟在リ」と伝える。別に大倉御堂と称した。宗旨未詳

源実朝が君恩父徳に報いるため開創した寺で、「吾妻鏡」によると建暦二年(一二一二)四月一八日に立柱・上棟し、七月に惣門を建立したのち、建保二年(一二一四)七月二七日に開堂供養を行った。導師は明庵栄西、実朝はじめ政子も臨席している。同書によれば嘉禄二年(一二二六)北条時房は政子追善のため大慈寺郭内に三重宝塔を建立し(四月四日・一九日、六月七日条)、義時の三年忌では大慈寺釈迦堂供養を行い(六月一三日条)、安貞元年(一二二七)には泰時が政子三年忌供養のため、丈六阿弥陀堂の開堂供養を行った(四月二日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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