デジタル大辞泉
「浄智寺」の意味・読み・例文・類語
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じょうち‐じジャウチ‥【浄智寺】
- 鎌倉五山の一つ。神奈川県鎌倉市山之内にある臨済宗円覚寺派の寺。山号は金峰山。弘安四年(一二八一)北条宗政追福のためその子師時が創建。開山初祖は兀菴普寧(ごったんふねい)。境内に「甘露の井」がある。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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浄智寺
じようちじ
[現在地名]鎌倉市山ノ内
円覚寺の南西に位置する。臨済宗円覚寺派、山号金峰山。本尊阿弥陀・釈迦・弥勒の三世如来。鎌倉五山の一つ。弘安四年(一二八一)北条宗政没後、その菩提のため夫人や子師時が創建したと伝える。開山兀庵普寧、請待開山大休正念、準開山南州宏海。「風土記稿」は開山の複数について、開山に請ぜられた宏海が師普寧を開山とし、開堂供養などの導師に正念を招いて自身は二世と称したとする。宏海の塔所蔵雲庵が開山塔といわれていることからしても、実際の開山は宏海と考えるべきであろう(天文一九年五月二一日「鎌倉代官大道寺盛昌書出」県史三)。
「大休念禅師語録」の「為武蔵守殿三祥供養浄智寺開山陞座拈香」によると、弘安六年頃には檀那塔・仏殿・僧堂・庫裏・方丈・山門などが整っていたようである。これらは永仁元年(一二九三)の大地震には被害を被ったと思われる。しかし当寺は開基の関係から北条氏の保護があったと考えられ、復興も順調に進んだのであろう。正安元年(一二九九)無象静照が住持の時、北条貞時は当寺を五山に列したという(無象和尚行状記)。元亨三年(一三二三)北条貞時十三年忌供養には住持玉山徳
ほか僧衆二二四人が参加(「北条貞時十三年忌供養記」県史二)。これは建長寺・円覚寺・寿福寺に次ぐもので、当寺が相当の大寺であったことがうかがえる。
浄智寺
じようちじ
[現在地名]徳島市寺町
寺町のほぼ中央、本行寺の東方にある。清滝山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀三尊。寺伝によると、承元元年(一二〇七)に法然が四国に配流されるに先立ち幸西・道証・智海の弟子たちが阿波に配流されたことを契機として、嘉禄年間(一二二五―二七)に勝瑞城下(現藍住町)に建立されたという。「昔阿波物語」には「勝瑞にちんせい宗と申て、門にかねをたゝき、歌念仏なと申寺を常知寺と申候」とあり、地獄絵などを使って布教活動を行い、勝瑞の町人を皆浄土宗に改宗させたが、檀家を奪われた禅宗・真言宗寺院の反撃で町人らは前の宗派に復し、浄土宗寺院は「浄地寺」のみとなったとある。戦国末期には三好氏の保護を得て寺領一四貫文を与えられ、下寺は六ヵ寺、寺屋敷は一町五反余、四方を藪に囲まれていたという(「阿州三好記大状前書」「阿州三好記並寺立屋敷割次第」徴古雑抄)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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浄智寺
じょうちじ
神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済(りんざい)宗円覚寺(えんがくじ)派の寺。正式には金宝山(きんぽうざん)浄智荘厳(しょうごん)禅寺という。本尊は阿弥陀(あみだ)・釈迦(しゃか)・弥勒(みろく)の三世仏。北条師時(もろとき)が1281年(弘安4)に没した父宗政のため創建。兀庵普寧(ごったんふねい)を故開山、大休正念(だいきゅうしょうねん)を勧請(かんじょう)開山、南洲宏海(なんしゅうこうかい)を準開山とする。南洲が開山であるが、嗣法の師兀庵と、宗政三回忌の導師大休に敬意を表してである。1299年(正安1)北条貞時(さだとき)によって鎌倉五山の寺格が与えられ、のち1386年(元中3・至徳3)足利義満(あしかがよしみつ)が五山位次を制定し、当寺は鎌倉五山の第四位に定められ、夢窓疎石(そせき)、清拙正澄(せいせつしょうちょう)、竺仙梵僊(じくせんぼんせん)らの高僧が住持した。ことに夢窓は1305年(嘉元3)浄智寺住持の高峰顕日(こうほうけんにち)に参禅して、この寺で印可を受けた。しかし室町末期には足利氏の衰勢とともに寺運が衰え、小田原北条氏も寺領7貫文余を給するにとどまった。
寺宝の木造地蔵菩薩(ぼさつ)像、玉隠英璵(ぎょくいんえいよ)筆の紙本墨書西来庵(さいらいあん)修造勧進(かんじん)状1巻は国の重要文化財、暦応(れきおう)3年(1340)銘の銅鐘は県文化財。境内は国史跡。また境内に鎌倉十井(じっせい)の一つ「甘露(かんろ)の井」がある。
[菅沼 晃]
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浄智寺【じょうちじ】
鎌倉市にある臨済宗円覚寺(えんかくじ)派の寺。本尊阿弥陀・釈迦・弥勒の三世如来。鎌倉五山の一つ。1283年北条宗政(ほうじょうむねまさ)夫人が夫の菩提を弔うために創建。開山兀庵普寧(ごったんふねい),実際の開山は南州宏海(なんしゅうこうかい)とも。1863年円覚寺の兼帯寺となり,明治以降は円覚寺の境外塔頭的存在。木造地蔵菩薩座像などは重要文化財,境内は国指定史跡。
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浄智寺
じょうちじ
神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺。金峰山と号す。鎌倉五山の第4位。1281年(弘安4)に死去した北条宗政の菩提を弔うために妻と子師時が創建。実際の開山は南洲宏海(なんしゅうこうかい)であるが,師の大休正念(だいきゅうしょうねん)・兀庵普寧(ごったんふねい)の2人に開山の名誉を譲ったために3人の名が連なる。鎌倉時代の木造地蔵菩薩坐像(重文),室町時代の木造三世仏坐像,南北朝期の木造大休正念像・木造南洲宏海像などがある。境内は国史跡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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浄智寺
じょうちじ
鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺。鎌倉五山の第4位
13世紀末,北条宗政・師時父子が創建,兀庵普寧 (ごつたんふねい) を開山とする。その後一山一寧 (いつさんいちねい) らが住持となったが,上杉禅秀の乱(1416〜17)以来たびたびの火災により衰微した。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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浄智寺
神奈川県鎌倉市にある寺院。臨済宗円覚寺派。正称、金峰山浄智荘厳(しょうごん)禅寺。本尊は三世仏(阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来)。1281年に没した北条宗政の菩提を弔うため建立された。境内は国の史跡に指定。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の浄智寺の言及
【鎌倉五山】より
…鎌倉にある臨済宗の五大禅刹,すなわち[建長寺],[円覚寺],寿福寺,浄智寺,浄妙寺をいい,[京都五山]に対する。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,1299年(正安1)執権北条貞時が浄智寺を五山に列したのが史料上の初見である。…
※「浄智寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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