浄智寺(読み)ジョウチジ

デジタル大辞泉 「浄智寺」の意味・読み・例文・類語

じょうち‐じ〔ジヤウチ‐〕【浄智寺】

神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺。山号金峰山。弘安6年(1283)北条宗政三回忌に建立。開山は兀庵普寧ごったんふねい大休正念・南州宏海。鎌倉五山の第四位

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精選版 日本国語大辞典 「浄智寺」の意味・読み・例文・類語

じょうち‐じジャウチ‥【浄智寺】

  1. 鎌倉五山の一つ。神奈川県鎌倉市山之内にある臨済宗円覚寺派の寺。山号は金峰山。弘安四年(一二八一)北条宗政追福のためその子師時が創建。開山初祖は兀菴普寧(ごったんふねい)。境内に「甘露の井」がある。

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日本歴史地名大系 「浄智寺」の解説

浄智寺
じようちじ

[現在地名]鎌倉市山ノ内

円覚寺の南西に位置する。臨済宗円覚寺派、山号金峰山。本尊阿弥陀・釈迦・弥勒の三世如来。鎌倉五山の一つ。弘安四年(一二八一)北条宗政没後、その菩提のため夫人や子師時が創建したと伝える。開山兀庵普寧、請待開山大休正念、準開山南州宏海。「風土記稿」は開山の複数について、開山に請ぜられた宏海が師普寧を開山とし、開堂供養などの導師に正念を招いて自身は二世と称したとする。宏海の塔所蔵雲ぞううん庵が開山塔といわれていることからしても、実際の開山は宏海と考えるべきであろう(天文一九年五月二一日「鎌倉代官大道寺盛昌書出」県史三)

「大休念禅師語録」の「為武蔵守(北条宗政)殿三祥供養浄智寺開山陞座拈香」によると、弘安六年頃には檀那塔・仏殿・僧堂・庫裏・方丈・山門などが整っていたようである。これらは永仁元年(一二九三)の大地震には被害を被ったと思われる。しかし当寺は開基の関係から北条氏の保護があったと考えられ、復興も順調に進んだのであろう。正安元年(一二九九)無象静照が住持の時、北条貞時は当寺を五山に列したという(無象和尚行状記)。元亨三年(一三二三)北条貞時十三年忌供養には住持玉山徳ほか僧衆二二四人が参加(「北条貞時十三年忌供養記」県史二)。これは建長寺・円覚寺・寿福じゆふく寺に次ぐもので、当寺が相当の大寺であったことがうかがえる。


浄智寺
じようちじ

[現在地名]徳島市寺町

てら町のほぼ中央、本行ほんぎよう寺の東方にある。清滝山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀三尊。寺伝によると、承元元年(一二〇七)に法然が四国に配流されるに先立ち幸西・道証・智海の弟子たちが阿波に配流されたことを契機として、嘉禄年間(一二二五―二七)勝瑞しようずい城下(現藍住町)に建立されたという。「昔阿波物語」には「勝瑞にちんせい宗と申て、門にかねをたゝき、歌念仏なと申寺を常知寺と申候」とあり、地獄絵などを使って布教活動を行い、勝瑞の町人を皆浄土宗に改宗させたが、檀家を奪われた禅宗・真言宗寺院の反撃で町人らは前の宗派に復し、浄土宗寺院は「浄地寺」のみとなったとある。戦国末期には三好氏の保護を得て寺領一四貫文を与えられ、下寺は六ヵ寺、寺屋敷は一町五反余、四方を藪に囲まれていたという(「阿州三好記大状前書」「阿州三好記並寺立屋敷割次第」徴古雑抄)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄智寺」の意味・わかりやすい解説

浄智寺
じょうちじ

神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済(りんざい)宗円覚寺(えんがくじ)派の寺。正式には金宝山(きんぽうざん)浄智荘厳(しょうごん)禅寺という。本尊は阿弥陀(あみだ)・釈迦(しゃか)・弥勒(みろく)の三世仏。北条師時(もろとき)が1281年(弘安4)に没した父宗政のため創建。兀庵普寧(ごったんふねい)を故開山、大休正念(だいきゅうしょうねん)を勧請(かんじょう)開山、南洲宏海(なんしゅうこうかい)を準開山とする。南洲が開山であるが、嗣法の師兀庵と、宗政三回忌の導師大休に敬意を表してである。1299年(正安1)北条貞時(さだとき)によって鎌倉五山の寺格が与えられ、のち1386年(元中3・至徳3)足利義満(あしかがよしみつ)が五山位次を制定し、当寺は鎌倉五山の第四位に定められ、夢窓疎石(そせき)、清拙正澄(せいせつしょうちょう)、竺仙梵僊(じくせんぼんせん)らの高僧が住持した。ことに夢窓は1305年(嘉元3)浄智寺住持の高峰顕日(こうほうけんにち)に参禅して、この寺で印可を受けた。しかし室町末期には足利氏の衰勢とともに寺運が衰え、小田原北条氏も寺領7貫文余を給するにとどまった。

 寺宝の木造地蔵菩薩(ぼさつ)像、玉隠英璵(ぎょくいんえいよ)筆の紙本墨書西来庵(さいらいあん)修造勧進(かんじん)状1巻は国の重要文化財、暦応(れきおう)3年(1340)銘の銅鐘は県文化財。境内は国史跡。また境内に鎌倉十井(じっせい)の一つ「甘露(かんろ)の井」がある。

[菅沼 晃]

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百科事典マイペディア 「浄智寺」の意味・わかりやすい解説

浄智寺【じょうちじ】

鎌倉市にある臨済宗円覚寺(えんかくじ)派の寺。本尊阿弥陀・釈迦・弥勒の三世如来。鎌倉五山の一つ。1283年北条宗政(ほうじょうむねまさ)夫人が夫の菩提を弔うために創建。開山兀庵普寧(ごったんふねい),実際の開山は南州宏海(なんしゅうこうかい)とも。1863年円覚寺の兼帯寺となり,明治以降は円覚寺の境外塔頭的存在。木造地蔵菩薩座像などは重要文化財,境内は国指定史跡。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「浄智寺」の解説

浄智寺
じょうちじ

神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺。金峰山と号す。鎌倉五山の第4位。1281年(弘安4)に死去した北条宗政の菩提を弔うために妻と子師時が創建。実際の開山は南洲宏海(なんしゅうこうかい)であるが,師の大休正念(だいきゅうしょうねん)・兀庵普寧(ごったんふねい)の2人に開山の名誉を譲ったために3人の名が連なる。鎌倉時代の木造地蔵菩薩坐像(重文),室町時代の木造三世仏坐像,南北朝期の木造大休正念像・木造南洲宏海像などがある。境内は国史跡。

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旺文社日本史事典 三訂版 「浄智寺」の解説

浄智寺
じょうちじ

鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺。鎌倉五山の第4位
13世紀末,北条宗政・師時父子が創建,兀庵普寧 (ごつたんふねい) を開山とする。その後一山一寧 (いつさんいちねい) らが住持となったが,上杉禅秀の乱(1416〜17)以来たびたびの火災により衰微した。

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デジタル大辞泉プラス 「浄智寺」の解説

浄智寺

神奈川県鎌倉市にある寺院。臨済宗円覚寺派。正称、金峰山浄智荘厳(しょうごん)禅寺。本尊は三世仏(阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来)。1281年に没した北条宗政の菩提を弔うため建立された。境内は国の史跡に指定。

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事典・日本の観光資源 「浄智寺」の解説

浄智寺

(神奈川県鎌倉市)
鎌倉五山」指定の観光名所。

浄智寺

(神奈川県鎌倉市)
十刹」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の浄智寺の言及

【鎌倉五山】より

…鎌倉にある臨済宗の五大禅刹,すなわち建長寺円覚寺,寿福寺,浄智寺,浄妙寺をいい,京都五山に対する。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,1299年(正安1)執権北条貞時が浄智寺を五山に列したのが史料上の初見である。…

※「浄智寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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