北条時房(読み)ホウジョウトキフサ

デジタル大辞泉 「北条時房」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐ときふさ〔ホウデウ‐〕【北条時房】

[1175~1240]鎌倉前期の武将時政三男義時の弟。承久の乱北条泰時とともに上洛し、鎮定に当たった。のち、鎌倉に帰り、泰時を助けて執権政治基礎を固めた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「北条時房」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐ときふさ【北条時房】

  1. 鎌倉初期の武将。時政の子。義時の弟。奥州征伐和田義盛の乱の平定に功を挙げ、承久の乱には上洛、乱後六波羅探題南方に就任。安元元~延応二年(一一七五‐一二四〇

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「北条時房」の意味・わかりやすい解説

北条時房 (ほうじょうときふさ)
生没年:1175-1240(安元1-仁治1)

鎌倉前期の武将。時政の三男。初名時連。畠山重忠誅伐和田合戦鎮圧に活躍。1210年(承元4)幕府膝下の武蔵国の国守となり事実上の守護を兼ねる。17年(建保5)相模守。源実朝の死(1219)後の緊迫した公武交渉の一翼をにない,21年(承久3)承久の乱が起こると甥泰時とともに東海道を進撃,後鳥羽上皇軍を破って入京。乱後六波羅探題南方の任にあたり,伊勢,丹波の守護を兼ねる。25年(嘉禄1)鎌倉へ帰り執権泰時のもとで連署となり,のち遠江の守護を兼ねる。39年(延応1)4月泰時が重病のとき,時房は平然として酒宴を続け,非難を受けると〈自分が安心して酒宴できるのも泰時のおかげである。もし泰時が死んだら私も遁世するから,これが最後の宴となるだろう〉と語ったという逸話が示すように,終世変わらず泰時の忠実な協力者であった。子孫は大仏氏,佐介氏を称す。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「北条時房」の意味・わかりやすい解説

北条時房【ほうじょうときふさ】

鎌倉前期の武将。幕府初代連署(れんしょ)。時政の子。和田合戦軍功を挙げ,承久(じょうきゅう)の乱では甥泰時とともに入京。乱後,六波羅探題南方の任につく。終生執権泰時の忠実な協力者であった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

朝日日本歴史人物事典 「北条時房」の解説

北条時房

没年:仁治1.1.24(1240.2.18)
生年:安元1(1175)
鎌倉中期の武士。北条時政の子。当初は五郎時連と称したが,建仁2(1202)年に時房と改名。遠江守,駿河守を歴任し,承元1(1207)年には武蔵守になり,建保1(1213)年に相模守に転じた。承久1(1219)年の源実朝暗殺後には,幕府の使者として京都へ上り,皇子を将軍として鎌倉へ遣わすよう後鳥羽上皇に要請した。同3年の承久の乱に際しては,甥の泰時と共に大将として京都へ攻め上った。泰時と時房はそのまま京都にとどまり,初代の六波羅探題北方と南方になった。嘉禄1(1225)年,執権となっていた泰時は,執権補佐に当たる連署の職を新設し,時房を迎えた。以後,死去するまで連署の地位にあり,泰時の良き相談相手となった。<参考文献>上横手雅敬『北条泰時』

(高橋慎一朗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北条時房」の意味・わかりやすい解説

北条時房
ほうじょうときふさ
(1175―1240)

鎌倉前期の武将。時政(ときまさ)の子、義時(よしとき)の弟。相模守(さがみのかみ)、修理権大夫(しゅりごんのだいぶ)歴任。将軍源実朝(さねとも)没後の将軍後継問題に関して、兄執権義時の命で上京し、折衝にあたった。1221年(承久3)後鳥羽(ごとば)上皇の討幕計画をつぶすため、甥(おい)の泰時(やすとき)(義時の子)とともに上京、勝利ののち六波羅(ろくはら)にとどまり、朝廷の監視、乱後の処理にあたった。義時急死(1224)後鎌倉に帰り、連署(れんしょ)となって執権泰時のよき協力者として幕政を指導した。延応(えんおう)2年正月24日死去。

[田辺久子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条時房」の解説

北条時房 ほうじょう-ときふさ

1175-1240 鎌倉時代の武将。
安元元年生まれ。北条時政の3男。北条義時の弟。源頼朝の奥州攻めなどに参加。承久(じょうきゅう)の乱では甥(おい)の北条泰時とともに幕府軍の大将として京都方を攻める。乱後は初代の六波羅(ろくはら)探題南方となる。泰時が執権になると初代連署に起用された。延応2年1月24日死去。66歳。初名は時連。通称は五郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「北条時房」の解説

北条時房
ほうじょうときふさ

1175~1240.1.24

鎌倉前期の武将。幕府の初代連署。父は時政。義時の弟。はじめ時連と称する。たびたびの合戦で戦功をあげる一方,武蔵守として新田開発を推進。1221年(承久3)承久の乱で甥泰時をたすけ東海道軍として上洛。乱後は六波羅探題南方として京都の戦後処理に尽くした。24年(元仁元)義時の死後は泰時とともに鎌倉にもどり,翌年連署に就任。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北条時房」の意味・わかりやすい解説

北条時房
ほうじょうときふさ

[生]安元1(1175)
[没]仁治1(1240).1.24. 鎌倉
鎌倉幕府の初代連署。時政の子で,義時の弟。承久3 (1221) 年の承久の乱に際し入洛し,六波羅探題となり,元仁1 (24) 年複数執権制の開始により連署となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「北条時房」の解説

北条時房
ほうじょうときふさ

1175〜1240
鎌倉前期の武将
時政の子。義時の弟。泰時の叔父。奥州征討,畠山重忠の討滅,和田義盛の乱鎮定などに従い,1221年承久の乱には泰時とともに幕府軍を率いて入京。乱後,六波羅探題となる。'24年泰時のもとで初めて連署となり幕政を補佐した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android