コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

北条時房 ほうじょうときふさ

8件 の用語解説(北条時房の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北条時房
ほうじょうときふさ

[生]安元1(1175)
[没]仁治1(1240).1.24. 鎌倉
鎌倉幕府の初代連署。時政の子で,義時の弟。承久3 (1221) 年の承久の乱に際し入洛し,六波羅探題となり,元仁1 (24) 年複数執権制の開始により連署となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ほうじょう‐ときふさ〔ホウデウ‐〕【北条時房】

[1175~1240]鎌倉前期の武将。時政の三男。義時の弟。承久の乱北条泰時とともに上洛し、鎮定に当たった。のち、鎌倉に帰り、泰時を助けて執権政治の基礎を固めた。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

北条時房【ほうじょうときふさ】

鎌倉前期の武将。幕府初代連署(れんしょ)。時政の子。和田合戦に軍功を挙げ,承久(じょうきゅう)の乱では甥泰時とともに入京。乱後,六波羅探題南方の任につく。終生,執権泰時の忠実な協力者であった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北条時房 ほうじょう-ときふさ

1175-1240 鎌倉時代の武将。
安元元年生まれ。北条時政の3男。北条義時の弟。源頼朝の奥州攻めなどに参加。承久(じょうきゅう)の乱では甥(おい)の北条泰時とともに幕府軍の大将として京都方を攻める。乱後は初代の六波羅(ろくはら)探題南方となる。泰時が執権になると初代連署に起用された。延応2年1月24日死去。66歳。初名は時連。通称は五郎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

北条時房

没年:仁治1.1.24(1240.2.18)
生年:安元1(1175)
鎌倉中期の武士。北条時政の子。当初は五郎時連と称したが,建仁2(1202)年に時房と改名。遠江守,駿河守を歴任し,承元1(1207)年には武蔵守になり,建保1(1213)年に相模守に転じた。承久1(1219)年の源実朝暗殺後には,幕府の使者として京都へ上り,皇子を将軍として鎌倉へ遣わすよう後鳥羽上皇に要請した。同3年の承久の乱に際しては,甥の泰時と共に大将として京都へ攻め上った。泰時と時房はそのまま京都にとどまり,初代の六波羅探題北方と南方になった。嘉禄1(1225)年,執権となっていた泰時は,執権補佐に当たる連署の職を新設し,時房を迎えた。以後,死去するまで連署の地位にあり,泰時の良き相談相手となった。<参考文献>上横手雅敬『北条泰時』

(高橋慎一朗)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ほうじょうときふさ【北条時房】

1175‐1240(安元1‐仁治1)
鎌倉前期の武将。時政の三男。初名時連。畠山重忠の誅伐や和田合戦鎮圧に活躍。1210年(承元4)幕府膝下の武蔵国の国守となり事実上の守護を兼ねる。17年(建保5)相模守。源実朝の死(1219)後の緊迫した公武交渉の一翼をにない,21年(承久3)承久の乱が起こると甥泰時とともに東海道を進撃,後鳥羽上皇軍を破って入京。乱後六波羅探題南方の任にあたり,伊勢,丹波の守護を兼ねる。25年(嘉禄1)鎌倉へ帰り執権泰時のもとで連署となり,のち遠江の守護を兼ねる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ほうじょうときふさ【北条時房】

1175~1240) 鎌倉前期の武将。時政の子、義時の弟。承久の乱に甥の北条泰時とともに幕府軍を率いて上洛。泰時が執権になると連署としてこれを補佐した。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北条時房
ほうじょうときふさ
(1175―1240)

鎌倉前期の武将。時政(ときまさ)の子、義時(よしとき)の弟。相模守(さがみのかみ)、修理権大夫(しゅりごんのだいぶ)歴任。将軍源実朝(さねとも)没後の将軍後継問題に関して、兄執権義時の命で上京し、折衝にあたった。1221年(承久3)後鳥羽(ごとば)上皇の討幕計画をつぶすため、甥(おい)の泰時(やすとき)(義時の子)とともに上京、勝利ののち六波羅(ろくはら)にとどまり、朝廷の監視、乱後の処理にあたった。義時急死(1224)後鎌倉に帰り、連署(れんしょ)となって執権泰時のよき協力者として幕政を指導した。延応(えんおう)2年正月24日死去。[田辺久子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

北条時房の関連キーワード畠山重保稲毛重成江馬輝経大仏朝直佐々木氏信武田信時北条時顕北条時定(1)北条時範北条時盛

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone