20世紀日本人名事典 「大木よね」の解説
大木 よね
オオキ ヨネ
昭和期の成田空港反対運動家 三里塚空港反対運動の名物お婆さん。
- 生年
- 明治40(1907)年11月25日
- 没年
- 昭和48(1973)年12月14日
- 出生地
- 千葉県印旛郡八街村
- 別名
- 別名=小泉 よね(コイズミ ヨネ)
- 経歴
- 7歳の時から子守、女中奉公、露店商、行商などで流浪。昭和17年ブローカーの大木実と結婚、三里塚(千葉県成田市)に定住。戦後、配分を受け、開墾した土地で農業を営む。23年に夫と死別。41年に結成された成田空港反対同盟に参加、闘争激化とともに行動・集会の先頭に立った。46年9月第2次強制代執行で反対派農家として唯一自宅が破壊され、東峰に移転。その後も運動を続けたが、48年12月心臓病で死亡。遺体は第2期工事の滑走路予定地に土葬された。その後、養子で市民運動家の小泉英政が国を相手に“土地の明け渡しを認めた緊急採決”の取り消しを求める裁判を起こし、平成11年国の謝罪により和解が成立。14年には新東京国際空港公団が小泉に対し空港地内の土地の使用権を認めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報