大根村(読み)おおねむら

日本歴史地名大系 「大根村」の解説

大根村
おおねむら

[現在地名]新田町大根

北はおお村、東は金井かない村、南は上田中かみたなか村。村域は大間々おおまま扇状地藪塚やぶづか面の扇端部とその南方の沖積地を占め、矢太神やだいじん・みのがいと・団蔵坊だんぞうぼうなどの自然湧水がみられる。矢太神沼は石田いしだ川の水源東境を南北に銅山あかがね街道が走る。中世には新田庄に属し、「青根」「あふね」「相根」などとみえる。嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)に「あふねの郷 田三町二反四十五たい 畠八反 在家一う」とある。西迎さいごう(現長野県下水内郡豊田村)の延慶三年(一三一〇)四月二〇日の阿弥陀仏像背銘には「上野国新田庄青根郷 大檀那義季・見阿」とある。また「吾妻鏡」承久三年(一二二一)六月一八日条に記す宇治川の合戦で負傷した上野武士の一人に青根三郎の名がみえる。貞治二年(一三六三)閏正月一六日(四月に安堵か)に「一所 青根郷」が鎌倉府から長楽ちようらく(現尾島町)寄進されており(同四年七月五日「長楽寺寺領注文」長楽寺文書)、寄進の年月日未詳であるが「相根郷田畠弐十六丁一反半 所当四十九貫五百十文」も同寺領であった(年月日未詳「長楽寺寺領目録案」同文書)


大根村
おおねむら

[現在地名]佐原市大根

下総台地北部に位置し、北は牧野まきの村、西は大崎おおさき村・長山ながやま村。集落は台地上に形成され、水田は北流する香西かさい川の谷に広がる。中世の香取社領相根おおね村に比定される。慶長四年(一五九九)の矢作領検地では検地高五三一石余(「部冊帳」伊能家文書)。同七年の鳥居忠政転封後、寛永八年(一六三一)まで旗本脇坂領で、いったん幕府領となるが、翌九年頃から旗本杉浦・山岡氏と旗本島氏(元禄一三年に平岡氏に改姓)の相給となり、杉浦領は二二一石余で、寛永九年平山氏が杉浦領の地代官兼名主に任命された(平山家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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