朝日日本歴史人物事典 「大槻清準」の解説
大槻清準
生年:安永1(1772)
江戸中・後期の仙台藩の儒学者。平戸生月島捕鯨の見聞記『鯨史稿』(1808)を著した。大肝入専左衛門清雄の次男で清準は名,通称民治,字子縄,平泉と号した。大槻玄沢の伯父の孫に当たる。林述斎に師事,江戸の昌平黌に学ぶ。文化3(1806)年仙台藩藩儒に抜擢され,荒蕪地を開き,藩校養賢堂を建て第4代学頭になり,藩士子弟の教導と教育行政に努めた。『鯨海游志』『経世大要』『三正通義』など,著書は多い。<参考文献>千葉瑞夫『磐井の里の先賢清庵と大槻家の人々』
(田島佳也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報