デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大樋長左衛門」の解説
大樋長左衛門(初代) おおひ-ちょうざえもん
寛永7年生まれ。大樋焼の創始者。京都にでて楽一入(らく-いちにゅう)に楽焼をまなぶ。寛文6年加賀金沢藩主前田綱紀(つなのり)の招きにより,裏千家4代千宗室とともに金沢にゆき,大樋町に窯をひらいた。作品は茶褐色の飴釉(あめぐすり)を特色とする。正徳(しょうとく)2年1月21日死去。83歳。河内(かわち)(大阪府)出身。本姓は土師(はじ)。初名は長二。
… 利休から数えて4世にあたる仙叟宗室は,はじめ医師を志して野間玄琢に師事し,玄室と称していたが,玄琢の死後千家に戻り,のち加賀藩主前田利常の茶道茶具奉行として仕えるところとなった。その折,京都から大樋長左衛門を伴って金沢に赴き,〈大樋焼〉を開窯し,宮崎寒雉を指導して茶の湯釜を鋳造させたという。臘月庵と号し,織田有楽の孫三五郎長好とも交友をもっている。…
※「大樋長左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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