20世紀日本人名事典 「大沢謙二」の解説
大沢 謙二
オオサワ ケンジ
- 生年
- 嘉永5年7月3日(1852年)
- 没年
- 昭和2(1927)年1月10日
- 出生地
- 三河国宝飯郡当古村(愛知県豊川市)
- 旧姓(旧名)
- 大林
- 経歴
- 神官・大林美濃の4男として生まれる。幼名は右近次。文久2年藩侍医・大沢玄竜の養子となり、謙二と改名。慶応2年足立寛に伴われ江戸の医学所に入る。明治元年一旦帰郷し、2年上京、再興された医学所に入り句読師となる。3年中得業士になりドイツに留学、デュ・ボア・レーモンの講義を聴く。7年帰国し東京医学校(のちの東京大学医学部)教授。11年再び度独しゴルツ、ポッペザイラーらに学び、15年帰国、東京大学医学部教授となり生理学を講じる。23年東京帝国大学医科大学長。大正4年名誉教授。東大医学部初の日本人教授として知られ、日本の近代生理学の基礎を築いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報