大瓜村(読み)おおりむら

日本歴史地名大系 「大瓜村」の解説

大瓜村
おおりむら

[現在地名]大衡村大瓜

ぜん川の上流域に位置し、耕地と集落は沿岸に形成されている。東は大衡村、西は達居森たつこもり(二六二・七メートル)吉田よしだ(現大和町)、南も吉田村、北は加美かみ四竈しかま(現色麻町)大里おおり大折おおりとも記した。達居森は四囲眺望良く、字とうさわ折口おりぐち館の物見山と伝えている。折口館跡は「古城書立之覚」に古城と記し、城主は福田太郎左衛門で、永禄年間(一五五八―七〇)まで居住という。また大瓜城ともいい、「伊達正統世次考」八之巻某年一〇月七日条に、黒川景氏の家臣大瓜城主福田若狭広重ならびに同右近父子は、先祖を相模国渋谷しぶや福田ふくだ(現神奈川県)の渋谷氏と注している。建武三年(一三三六)一一月九日の高師直奉書(諸家系図)に「陸奥国黒河郡内」の北迫きたばさまに村地頭と思われる渋谷平四郎の名がみられるが、福田氏はこの北条氏の得宗被官人とかかわりを有する者であろうか。

寛永二年(一六二五)の伊達宗清知行黒印状(伊達家文書)に当村のうち満徳山まんとくさん谷地・大履掛野おおくつかけの谷地の一〇貫文を宮野左兵衛に与えているので、吉岡よしおか(現大和町)館主伊達宗清が支配したこともあった。


大瓜村
おうりむら

[現在地名]石巻市大瓜

真野まの川西岸の籠峰かごぼう山南麓沿いに立地。西は南境みなみざかい村、北東高木たかぎ村に接し、南は真野川を隔ててまき山北麓に対する。「蛇田村安永風土記」の村名由来に「往古当村ニ住居仕候御百姓之家年々燕巣籠候処、瓜実壱ツ觜ニ含飛来候を家主不審ニ存植候得ハ(中略)右瓜植候処を大瓜と名付候(中略)往古ハ大瓜村并南境村共ニ当村之内ニ御座候」とあり、北上川下流瀬替以前は、蛇田へびた村の端郷であったとも考えられる。奥州葛西氏家臣の村主大瓜玄蕃の姓にちなむという説もある(稲井町史)。慶長五年(一六〇〇)の葛西大崎船止日記(伊達家文書)に「おう里の内 舟壱そう」とある。正保郷帳に田七五貫九一四文・畑六貫三二三文とあり、ほかに同所新田四八貫二一九文があり、旱損・柴山注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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