日本歴史地名大系 「大衡村」の解説 大衡村おおひらむら 宮城県:黒川郡大衡村大衡村[現在地名]大衡村大衡現村域の中央から南部にかけて立地し、善(ぜん)川と埋(うもれ)川の流域に耕地があり、これを包むように低い起伏の平原が連なる。南方今(いま)村(現大和町)からの陸羽街道(現国道四号)と、これより分岐する羽後街道(出羽街道)とが主要幹道。字塩浪(しおなみ)の大衡館の館主は「古城書立之覚」では天正年中(一五七三―九二)まで黒川安芸守の臣大衡治部大輔の居住と伝えている。大衡氏は「源家足利黒川系図」(東大史料編纂所蔵)によると、黒川景氏の子宗氏を大衡治部大輔としている。また現岩手県水沢(みずさわ)市大衡忠家蔵「源姓黒川氏大衡家族譜」の宗氏の項には、天文一三年(一五四四)伊達晴宗より大衡村に采地を得て大衡氏を称すとある。ただし大衡氏は大瓜(おおり)城主福田氏同様に北条得宗被官人渋谷氏の子孫とする説もある(大衡村誌)。天正一八年黒川氏没落後は伊達氏領となり、同年九月一七日に東大平、同月二二日に西大平分の太閤検地が行われ、このときの検地帳が各々残る(仙台市博物館蔵)。東大平分の検地役人は岸伯衆、西大平分は重大夫。 大衡村おおひらむら 宮城県:黒川郡大衡村面積:六〇・四三平方キロ郡の北部に位置し、郡の西端船形(ふながた)連峰から東方に延びる丘陵と、その支峰北泉(きたいずみ)ヶ岳から東方に延びる丘陵との間の丘陵地帯にある。西は達居森(たつこもり)(二六二・七メートル)の稜線を境にして大和(たいわ)町、南も大和町、北は加美(かみ)郡色麻(しかま)町・志田郡三本木(さんぼんぎ)町、東は大郷(おおさと)町。達居森から発する善(ぜん)川と北西部丘陵地帯の水を集める埋(うもれ)川は、南部平坦地帯に流れ出て、大衡館跡下で合流し、吉田川に注ぐ。東部の駒場(こまば)・大森(おおもり)の大小の丘陵の沢水は東流して鶴田(つるた)川に入る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大衡村」の意味・わかりやすい解説 大衡〔村〕おおひら 宮城県中部,仙北平野南部にある村。東部の平地は米作を主とするが,西部の丘陵地では酪農と花卉,リンゴの栽培が行われる。国道4号線 (陸羽街道) が縦貫し,中心地の大衡から北西に羽後街道が分岐する。面積 60.32km2。人口 5849(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by