大福寺村(読み)だいふくじむら

日本歴史地名大系 「大福寺村」の解説

大福寺村
だいふくじむら

[現在地名]三ヶ日町福長ふくなが

岡本おかもと村の北に位置し、西は平山ひらやま村。古刹大福寺の山裾南方に開けた村で、江戸中期に枝村として西方長根ながね村が開発されたという。中世北原きたはら御薗は当地付近に比定される。正保郷帳に村名がみえ、田方九〇石余・畑方一三石余、旗本大谷近藤(のちの内野近藤)領、ほかに大福寺領七五石(うち五石は御納豆領)がある。領主は変化なく幕末に至る。国立史料館本元禄郷帳には大福寺の本尊修理領・御納豆領のほか、阿弥陀堂(丸山寺、現廃寺)領がみえる。旧高旧領取調帳では内野近藤領一四七石余、ほかに大福寺領七七石余、「九山寺」領一石があり、同領の長根村は高九三石余。「遠淡海地志」では家数六〇。大福寺領においてたばこ栽培が行われ、元禄一六年(一七〇三)江戸しば(現東京都港区)の「高野御屋敷」に提出された大福寺領煙草作付届書(大福寺文書)には前年のたばこの惣高四斗(反別五畝)とある。


大福寺村
だいふくじむら

[現在地名]富来町大福寺

栢木かいのき村の北、高爪たかつめ(三四一メートル)から南流して日本海に注ぐ酒見さかみ川の上流域にある。地内に六所ろくしよ明神(高爪神社)の別当大福寺があった。村名は天正一三年(一五八五)二月二一日の前田利家印判状(福山文書)にみえ、酒見村などとともに大福寺の堂の上葺を命ぜられている。正保郷帳の高八六三石余、田四九町三反余・畑八町二反余、免四ツ六厘。寛文一〇年(一六七〇)の村御印には高八九〇石、免四ツ八歩、小物成は山役一五二匁・苦竹役五六匁、鳥役六匁(出来)とある(三箇国高物成帳)


大福寺村
だいふくじむら

[現在地名]八代市大福寺町

植柳うやなぎ村の南東部に隣接する。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳では田方三四石二斗余・畠方八九石六斗余。高田手永に属した。「国誌」は上・下・大日・稲次などの小村をあげ、「当村ノ蜜柑至テ甘美ナリ」と賞している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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