日本歴史地名大系 「福永村」の解説
福永村
ふくながむら
「水野記」瑞源院の項に「門田庄郡村 南光山向陽庵、禅宗(中略) 八幡宮、古社領拾六貫、天文六丁酉年宮野高雄修補(中略) 神石大明神、古社領拾貫、毛利家没収之、門田庄門田村 西深山政蓮寺、禅宗(中略) 梶尾大明神、自雲州大社奉勧請也、天文十七戊申年宮野高尾再興(中略)社領二拾貫(中略) 門田庄和泉村 八幡宮、天文三乙未年宮野高尾再興(中略) 中谷寺、真言宗、古大内某之建立、寺領拾貫(中略) 右郡村門田村和泉村是謂三村、又号福永村皆在福永村之内也」とみえる。これによれば福永村は
福永村
ふくながむら
かつての新印神の呼称から、中世にみえる「新印郷」「下新印村」を同一の地として当地付近に比定する説がある(鳥取県史)。「吾妻鏡」寛元二年(一二四四)七月一六日条によると、日野六郎長用と平五郎季長法師(法名妙蓮)との間に「伯耆国日野新印郷・同下村」の得分をめぐる相論があったが、長用は自らが不利と考えてか、同年六月二〇日に裁許のための鎌倉幕府御教書を奪い取り、鎌倉への出仕を停止されている。
福永村
ふくながむら
福永村
ふくながむら
福永村
ふくながむら
福永村
ふくながむら
福永村
ふくながむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報