大萱(読み)おおがや

日本歴史地名大系 「大萱」の解説

大萱
おおがや

瀬田せた川の東岸にあり、中世勢多せた郷の内として南の大江おおえとともにみえる。交通の要所であるため、観応元年(一三五〇)一二月四日には甲賀郡油日あぶらひ(現甲賀町)に蜂起した南朝軍が勢多進攻、「大江・大萱以下宿々、地頭御家人等家々」が焼払われている(「園太暦」同月五日条)。永和五年(一三七九)二月摂津能直に宛行われたが(同年三月二一日「足利義満下文」古証文)、京極高秀被官の河瀬九郎の抵抗にあっている(同年四月二八日「室町幕府御教書」同書)。文明一三年(一四八一)八月、石橋某が「江州大萱先代官常徳院庄主善監寺」から借りていた銭三〇貫文の債務破棄を訴えている(賦引付)。なお年月日未詳の北野社社領目録写(北野神社古文書)栗太くりた郷大萱村地頭職とある。


大萱
おおがや

[現在地名]可児市久々利

久々利くくり村本郷の東、久々利川最上流部にある久々利村枝郷。大平窯由緒書(加藤文書)などによれば、天正五年(一五七七)加藤源十郎景成が窯を開き、志野・黄瀬戸などを焼成したと伝える。文政年間(一八一八―三〇)の窯株覚(西浦文書)には、六筋以上の窯があったと伝える。「濃州徇行記」によれば無高で小物成年貢を山村千村の二氏へ納める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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