大萱村(読み)おおがやむら

日本歴史地名大系 「大萱村」の解説

大萱村
おおがやむら

[現在地名]大津市大萱一―七丁目・萱野浦かやのうら大江おおえ一丁目・大将軍だいしようぐん一―三丁目・月輪つきのわ一―三丁目・一里山いちりやま一―五丁目・栗林町くりばやしちよう瀬田南大萱町せたみなみおおがやちよう

大江村北東方にあり、西は琵琶湖に臨む。東方の大萱新田・栗林新田北方新浜しんはま(現草津市)ともに地内に開かれ分村したもの。現草津市の大萱村と区別するため南大萱とも称する。南東部の丘陵には灌漑用溜池が点在、北東に続く東海道沿いには家並が二町半ほど続くが(宿村大概帳)、集落はもと街道より湖岸側にあったという。丘陵部には旧石器時代から縄文時代のナイフ形石器や石鏃を出土した大池おおいけ遺跡、湖岸側には善念寺ぜんねんじ貝塚がある。また三角縁神獣鏡を出土した織部おりべ古墳(現在消滅)白鳳期の製鉄所跡の源内峠げんないとうげ遺跡、窯跡のやまかみ遺跡、寺院跡の東光寺とうこうじ遺跡などがある。

江戸期を通じて膳所藩領。寛永石高帳に村名がみえ、高一千三四六石余、小物成六八石余・小物成銀三九二匁余・同銭四五〇文。


大萱村
おおがやむら

[現在地名]草津市北大萱町きたおおがやちよう

あな村の南、なか川流域に広がる。条里遺称として九ノ坪・十ノ坪・七ノ坪がある。永正一一年(一五一四)二月には六角氏綱が伊庭貞説父子の軍と「大萱・勝部」に戦い、これを破っている(下笠老杉神社記録)。元亀三年(一五七二)大萱村惣代は一向一揆に内通しない旨の起請文を出している(→草津市。寛永石高帳では高六一二石余、旗本渡辺領。慶安高辻帳では田五八六石余・畑二六石余。元禄郷帳では渡辺氏の三給。安永四年(一七七五)草津宿の増助郷となり(深尾文書)野洲やす川橋掛役も課せられた。


大萱村
おおがやむら

[現在地名]伊那市大字西箕輪にしみのわ 大萱

蔵鹿ぞうろく山の東に広がる扇状地の中央部を占めており、広大な村域を持つ。藪原新田やぶはらしんでん山王さんのう新田・寄合よりあい新田等の親村である。大萱の地名の起りは「大小屋おおごや」かとも考えられる。天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳に村高は「弐百弐拾弐石三斗九升壱合 大屋」と記されている。

「上伊那誌」によれば、藪原新田は明暦三年(一六五七)の取立で初検地は寛文四年(一六六四)、元禄一一年(一六九八)の石高は七六石八斗四升二合とあり、山王新田は取立が寛文一二年、初検地が延宝二年(一六七四)、元禄一一年の石高は一四石一斗九升六合となっている。


大萱村
おおがやむら

[現在地名]丹生川村大萱

十二じゆうにヶ岳(一三二六・六メートル)の南西麓にあり、南は殿垣内とのがいと村・小木曾こぎそ村・下坪しもつぼ村。慶長一〇年(一六〇五)飛騨国郷帳では「大かや村」とみえ、小木曾村などとともに高付される。同一八年郷帳では大萱村として高一二八石余。元禄検地反歩帳の高一一七石余、田一二町一反余・畑一〇町八反余。「飛騨国中案内」によれば免は五割一分四厘、家数三二(すべて百姓)。天明八年(一七八八)の高一一七石余、反別田一二町一反余・畑一〇町余、家数三四・人数一七八、馬一七、威鉄砲三(村明細帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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