デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷休泊」の解説 大谷休泊 おおや-きゅうはく 1521-1578 戦国-織豊時代の開拓者。大永(たいえい)元年生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)平井城主上杉憲政につかえる。天文(てんぶん)のころ,山内上杉氏の没落により邑楽郡(おうらぐん)成島村に帰農。渡良瀬川から水路をひいて同地とその周辺に田地をひらいた。その用水路は休泊堀とよばれた。天正(てんしょう)6年8月29日死去。58歳。通称は新左衛門。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の大谷休泊の言及 【上野国】より …[産業の発展] 近世の統一後,上野国でも新田開発が活発になった。戦国期末,大谷休泊による休泊堀(邑楽郡)や,長野氏による長野堰(群馬郡)の開削があったが,江戸期では1604年総社藩主秋元長朝による天狗岩堰が有名である。利根川の水を引くこの用水は,さらに代官伊奈忠次によって延長され,新田2万7000石を得た。… ※「大谷休泊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by