大谷口村(読み)おおやぐちむら

日本歴史地名大系 「大谷口村」の解説

大谷口村
おおやぐちむら

[現在地名]松戸市大谷口・大金平おおがねだいら新松戸しんまつど一―二丁目・同四―五丁目

小金こがね町の西にある。村域は西方江戸川左岸低湿地に突出した下総台地の先端部および同台地周辺の低地に展開する。戦国期高城氏の居城であった小金城(大谷口城)跡があり、集落はすべて同城の郭内に位置する。応永一七年(一四一〇)八月一〇日に作成された香取造営料足納帳(静嘉堂文庫)には高千代民部分として「大谷口 田数二町一反半廿歩 乙亥・丙子二年分内、半分五百卅九文納」、風早かざはやの六崎将監入道分として「大谷口 田数九反四十歩 分銭四百五十六文之内弐百廿八文納、□□丙子両年分、初納」と記されている。「本土寺過去帳」には大矢口・大谷口・ヲヲヤ口などの表記で地名が散見する。


大谷口村
おおやぐちむら

[現在地名]浦和市大谷口・原山はらやま一丁目・同三―四丁目・太田窪だいたくぼ三丁目・太田窪

中尾なかお村の南に位置し、東は柳崎やなぎさき(現川口市)など。大宮台地浦和支台の先端とそれを取巻く溺れ谷からなる。田園簿では田七七〇石余・畑七九〇石余、ほかに玉林ぎよくりん院領一五石・吉祥きちじよう寺領五石・氷川大明神領一〇石余が記されており、中尾村も当村に含まれていたことが知られる。元禄郷帳では高七七九石余に減少しており、この間に中尾村・ひろ谷戸やと村・道祖土さいど村・柳崎村井沼方いぬまかた村などが分離していったと思われる(風土記稿)。江戸時代を通じて幕府領であったと思われる(田園簿・国立史料館本元禄郷帳など)


大谷口村
おおやぐちむら

[現在地名]岩井市大谷口

菅生すがお沼の西に所在。南と北に菅生沼のヤトが入込んでいる。戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「大屋くち七間之百姓 いにしへハ十五貫ニ候共 水入御座候間末代仁貫文ひけ候也」とあり、永禄一一年(一五六八)の足利義氏条書写(野田家文書)に「大矢口」がみえる。天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)によれば安西但馬守の支配地。江戸時代には旗本一色氏の知行地となった(猿島の歴史)が、元禄末期には下総関宿藩領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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