柳崎村(読み)やなぎさきむら

日本歴史地名大系 「柳崎村」の解説

柳崎村
やなぎさきむら

[現在地名]川口市柳崎一丁目・同三―五丁目・柳根町やなねちよう北園町きたぞのちよう

八木崎やぎさき村の北に位置し、北側は大宮台地南端の舌状台地で、南に低地が広がる。南流する見沼代用水(西縁)が村のほぼ中央部で西に流れを変える。永禄七年(一五六四)九月七日、太田氏資は内山弥右衛門尉に対し「柳崎之内原分」として一貫五〇〇文の地を宛行っている(「太田氏資判物写」内山文書)。田園簿に村名がみえず、八木崎村に含まれていたとみられる(風土記稿)元禄郷帳に村名がみえ、高一八五石余。国立史料館本元禄郷帳では幕府領となっており、以後幕末まで変わらなかった(改革組合取調書など)木崎きざき領に属し、化政期の家数二〇(風土記稿)


柳崎村
やなぎざきむら

明治一一年(一八七八)から同三九年まで存続した檜山郡の村。明治一一年とまり村のうち五厘沢ごりんざわ地区が分離し、柳崎村に合併して成立。同一二年の「共武政表」では戸数五九・人口二九三、馬九九、船数五三、物産として鮭が記される。同一三年の戸数七二・人口三五七(うち農業五八・漁業一四〇・馬追一二・日雇一四・大工一・雑業六・商業四一)であった(夏原家文書)


柳崎村
やなぎざきむら

[現在地名]檜山郡江差町字柳崎町・字五厘沢町ごりんざわちよう

近世土場どば村を中心に、明治初めに成立したとみられる村名。明治六年(一八七三)の「渡島国地誌提要」に柳崎村とみえ、平民戸数五一・庵一、人数男一一六・女一一五・僧一、ほかに寄留民一二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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