20世紀日本人名事典 「大貫真浦」の解説
大貫 真浦
オオヌキ マウラ
- 生年
- 嘉永3年11月(1850年)
- 没年
- 大正5(1916)年12月31日
- 出生地
- 下野国都賀郡鹿沼宿(栃木県鹿沼市)
- 経歴
- 下野鹿沼宿の氏神今宮神社の社家に生まれる。文久3年(1863年)江戸の平田鉄胤の門に入り8年間の学業の後、明治4年帰郷し今宮神社の祠掌となる。6年日光東照宮禰宜、8年官幣大社・札幌神社宮司、13年函館八幡宮宮司、25年伊勢神宮禰宜、27年京都の官幣大社・石清水八幡宮宮司などを歴任。34年伏見稲荷神社宮司となり没するまでの15年間勤続した。この間、21年北海道皇典講究分所所長、皇典講究所講演主任、41年京都府皇典講究分所所長を務める。著書に「稲荷神社史料」「荷田東麿翁」「羽倉春満伝」「荷田春満翁伝」「樛の舎和歌集」「都賀の舎随筆集」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報