今宮神社(読み)イマミヤジンジャ

デジタル大辞泉 「今宮神社」の意味・読み・例文・類語

いまみや‐じんじゃ【今宮神社】

京都市北区紫野今宮町にある神社祭神大国主命事代主神ことしろぬしのかみ・稲田姫命。4月やすらい祭は有名。紫野明神。

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精選版 日本国語大辞典 「今宮神社」の意味・読み・例文・類語

いまみや‐じんじゃ【今宮神社】

  1. [ 一 ] 大阪市浪速区恵美須町にある神社。旧郷社。祭神は天照大神、事代主命(ことしろぬしのみこと)など。今宮戎(えびす)神社。
  2. [ 二 ] 京都市北区紫野今宮町にある神社。旧府社。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命、稲田姫命(いなだひめのみこと)
  3. [ 三 ] 栃木県鹿沼市今宮町にある神社。旧県社。祭神は大己貴命、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)ほか一柱。延暦元年(七八二)の創建と伝えられる。

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日本歴史地名大系 「今宮神社」の解説

今宮神社
いまみやじんじや

[現在地名]北区今宮町

船岡ふなおか山の北、大徳寺北西に鎮座。祭神大己貴おおなむち命・事代主ことしろぬし命。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創建〕

「日本紀略」正暦五年(九九四)六月二七日条に「為疫神御霊会、木工寮修理職造神輿二基置北野船岡山」とあるように、船岡山一帯は疫病流行の折、それを送る御霊会が行われる地の一つであった。「日本紀略」長保三年(一〇〇一)五月九日条に「於紫野疫神、号御霊会、依天下疫疾也、是日以前、神殿三宇、瑞垣等、木工寮修理職所造也、又御輿内匠寮造之、京中上下多以集会此社之今宮、」とあり、船岡山北麓の紫野むらさきのに新しく神殿を造営し今宮社と名付けた。これが今宮社・紫野社とよばれる今宮神社の創建である。以後、五月九日が今宮社御霊会、紫野御霊会という名称で官祭として定着する(神祇官年中行事)

〔やすらい〕

その後「百錬抄」久寿元年(一一五四)四月条に「近日、京中児女備風流調鼓笛、参紫野社、世号之夜須礼、有勅禁止」とあり、「やすらい」と号した風流がこの社で行われている。


今宮神社
いまみやじんじや

[現在地名]氏家町馬場

氏家宿の北方にあたり、旧会津中街道の西に沿って参道があり、杉の古木の社叢がある。中世より氏家二四郷の総鎮守で、旧郷社。祭神は素盞嗚尊。「氏家記録伝」(宝暦五年写)に記された社伝によれば、康平三年(一〇六〇)に源頼義の奥州平定に従ってきた藤原宗円が、御霊神を祀ったとある。「下野国誌」には、宇都宮朝綱の五男氏家公頼が勝山かつやま城を築城した時に、宇都宮氏の氏神である宇都宮明神を城の鎮守として勧請したとある。「下野風土記」には本地を馬頭観音とし、「宇都宮明神ヲ示現太郎ト云、塩谷明神(現矢板市木幡神社)ヲ示現次郎ト云、氏家明神ヲ示現三郎ト云」とある。

正安二年(一三〇〇)から文禄二年(一五九三)までの祭礼記録である今宮祭祀録(西導寺蔵)があり、中世には今宮あるいは今宮明神、または氏家明神と称されていた。それによると、正安二年に氏家宿の南端にあった「御本社」より現在地の馬場に遷宮し、宇都宮氏と氏家氏などによって新造営が行われ、氏家領内の諸郷に課せられた。


今宮神社
いまみやじんじや

[現在地名]秩父市中町

秩父神社の南西、なか町に鎮座する。荒川河岸段丘崖下の右手、ケヤキの森に境内が広がる。旧村社。古来、伊弉諾尊伊弉冉尊を祀っていたが、大宝年中(七〇一―七〇四)役小角が悪獣・毒蛇から作物を守る八大竜王を合祀し、八大宮と称したという(埼玉県神社誌)。天文三年(一五三四)諸国に悪病が流行した時、京都今宮神社から素盞嗚尊が分祀され、社号を今宮神社と改めたとされ、江戸時代には今宮八大権現社と称した(風土記稿・郡村誌)


今宮神社
いまみやじんじや

[現在地名]右京区花園伊町

かつては祇花園ぎけおん(百錬抄)、または花園はなぞの(続古事談)ともよばれた。素戔嗚すさのお命を祭神とする御霊社で、長和四年(一〇一五)六月、洛中に疫病が流行したため疫神の託宣によって創祀された(百錬抄・日本紀略)。「小右記」同年六月二五日条に「西京花園寺坤方紙屋河西頭新卜疫神社、是西洛人夢想云々、或云、託宣云々、今日東西京師凡庶、挙首捧御幣具神馬向社頭云々」と記す。同月二五日・二六日には御霊会が行われ、近衛府などの宮人が奉仕している。その模様は「将曹正方云、昨花園今宮御霊会始行、依彼宮牒、作物所造神宝、右近衛 左右衛門・左右兵衛有奉仕事等、左右馬寮牽十列、両京人、従昨通夜、今日終日、奉御幣神馬、無避路、垣内積帋無有空処、宛如紫野神社者、深依惜命」であった(同書同月二六日条)


今宮神社
いまみやじんじや

[現在地名]伊予三島市中之庄町

中之庄なかのしよう町のみやうえにある神社。祭神は大山祇神・雷神・高神。旧村社。

「西条誌」に「今宮明神 所祀神三座大山祇命(中略)本社三間四方幣殿一間半三間 拝殿二間三間 門一間半二間(中略)石鳥居」とあり、さらに「床浦明神 疱瘡守護の神なる由にて、天保六未年、御廻領の時御拝ありしと也」とある。床浦明神は今宮神社本社の南にあった境内社と思われるが、今はない。


今宮神社
いまみやじんじや

[現在地名]鹿沼市今宮町

鹿沼城跡にある旧県社。祭神大名持命・田心姫命・味耜高彦根命。創建は延暦元年(七八二)、鎌倉時代は鹿沼六十六郷の総鎮守としてあがめられたと伝える。天文元年(一五三二)壬生綱房が鹿沼城を築くと、同三年御所の森から現在地に移され、今宮大権現と称し同城の鎮守として五〇石の田が寄進されたという。江戸時代、慶安元年(一六四八)朱印地五〇石を与えられ(寛文朱印留)、幕末に至る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「今宮神社」の意味・わかりやすい解説

今宮神社
いまみやじんじゃ

京都市北区紫野(むらさきの)今宮町に鎮座。大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)を祀(まつ)る。一条(いちじょう)天皇の時代に疫病が流行したため994年(正暦5)船岡山(ふなおかやま)で御霊会(ごりょうえ)を行った。しかし再度蔓延(まんえん)したため1001年(長保3)紫野に神殿をつくって疫神を勧請(かんじょう)して御霊会を行ったのが創建で、のちに今宮と称するようになった。なお、摂社の疫神社に素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る。旧府社。例祭は10月9日。特殊神事の「やすらい祭」は春の花が散るころ疫神が分散して人を悩ますのを鎮めるための祭りで、4月の第2日曜日に行われる。線彫四面仏石は重要文化財。

[寳來正彦]

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デジタル大辞泉プラス 「今宮神社」の解説

今宮神社

栃木県さくら市にある神社。1060年創祀と伝わる。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)。

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世界大百科事典(旧版)内の今宮神社の言及

【鹿沼[市]】より

…1635年(寛永12)阿部重次が1万3000石で東町に陣屋を置き,西町は翌年朽木稙綱が領有,1649‐1724年(慶安2‐享保9)内田氏3代が陣屋を構えた。押原66郷の総鎮守であった今宮神社は50石の朱印地を与えられ,10月9日の例大祭にくり出される屋台は鹿沼町人の繁栄の象徴であった。【河内 八郎】。…

【今宮祭】より

…京都市北区に鎮座する今宮神社の祭礼。994年(正暦5)国中疫病が流行したため,船岡山に疫神を安置して御霊会(ごりようえ)を営み,その後紫野に神殿を建立し,毎年旧暦5月9日に幣帛を奉り,これを今宮祭と称した。…

【民俗芸能】より

…その代表は京都八坂神社の祇園御霊会(ぎおんごりようえ)で,夏季に発生する疫病や水害,干ばつなどの災害は,怨み(うらみ)をのんで横死した人々の亡魂のたたりだと考え,それを御霊とあがめて華麗な山車と鉦や太鼓などの強烈な囃子の行列で慰撫鎮送しようとした(御霊会)。晩春には,桜花の散るのを疫神飛散の兆しとみて,華美な扮装の子女が鼓笛を奏して紫野(京都市)の今宮神社へ道中したのも同じ民俗で(今宮祭),平安朝以後,疫神,亡魂鎮送のために風流を飾り立てた一行が囃子を奏し,はなやかな踊りを見せたりする風俗が各地で見られるようになった。念仏踊も,もとは解脱(げだつ)を求める人々が国中に念仏を唱えつつ共に跳躍する形のものだったが,亡魂を慰撫するには念仏が何よりとの考えから,災害除けにこれを踊り,また盆供養にも念仏踊を手向けるようになった。…

※「今宮神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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