大越村(読み)おおこえむら

日本歴史地名大系 「大越村」の解説

大越村
おおこえむら

[現在地名]佐伯市長谷はせ 大越

岸河内きしがわち村の南西、大越川上流と中流域に位置。永禄六年(一五六三)九月一五日の佐伯庄佐伯後室譲与地坪付(大友家文書録)に「大越」とみえ、大友宗麟は地内四段の地ほかを田村宗切に安堵している。正保郷帳に村名がみえ、田高二六石余・畑高一三石余、堅田かたた郷に属した。その後の郷帳類では堅田村に含まれている。元禄見稲簿でも堅田村のうちで無高。享和三年(一八〇三)の郷村仮名付帳(佐伯藩政史料)によれば堅田村の枝郷で、地内におか麦田むぎた中新界なかしんかい下津留しもつる上野津留かみのつる・中大越・上大越・登戸路とどろがある。

大越村
おおごしむら

[現在地名]長浜町白滝しらたき・大越

ひじ川河口から四キロ上流右岸にあり、標高二〇〇―四〇〇メートルに散在する山村。「大洲旧記」によると、もとは上老松じよろうまつ村と一村であったが、元和三年(一六一七)の加藤氏入封後、分離して独立村となった。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)喜多郡の項に「大越村 日損所、茅山有」とある。村高は一〇〇石、うち田方三九石八斗四升一合二勺、畠方六〇石一斗五升八合八勺とあり、段畑の小村である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報