堅田村(読み)かたたむら

日本歴史地名大系 「堅田村」の解説

堅田村
かたたむら

中世の佐伯庄内の村で、佐伯湾に注ぐ堅田川・大越おおこえ川下流域、現佐伯市堅田を中心とした一帯に比定される。豊後国弘安図田帳に佐伯庄一八〇町のうちとして「堅田村六拾町」とみえる。地頭職は、一五町は当村を含む佐伯庄の領家でもある毛利判官代孫四郎、三〇町は佐伯八郎惟資(法名道法)、七町一段は堅田左衛門三郎惟光(法名善大)、四段は小(田脱か)原次郎重直(法名道仏)とある。内閣文庫本豊後国弘安田代注進状では、堅田村六〇町のうち一五町は領家とのみ記され、また堅田惟光は法名の記載がない。このほか「七町一段 忠左衛次郎惟永ママ家」とみえ、この合計高はほぼ六〇町に相当する。佐伯惟資(堅田惟助とも)は佐伯本庄の地頭佐伯政直の弟、堅田惟光は佐伯惟康の次男である堅田惟定の孫、「惟永後家」の惟永は惟定の玄孫で田北氏祖の惟長か(「大神姓佐伯氏系図」碩田叢史本)。正平二年(一三四七)九月二〇日の恵良惟澄官軍等所望闕所地注進状写(阿蘇家文書)に堅田次郎入道跡とみえ、養子の白石道秋が養父の所領を恩賞として所望している。この所領がどこにあるかは不明だが(年月日未詳「恵良惟澄闕所地中指合所領注進状写」同文書)、堅田氏が北朝方についたため、南朝方より闕所地とされていた。


堅田村
かたたむら

[現在地名]白浜町堅田

北は田辺湾に面し、西は瀬戸鉛山せとかなやま村、南は才野さいの村、東はたいら村。安久あく川上流部の沖積地に開かれた村で、小字福田ふくだから東条とうじようにかけて条里地割が認められ、大坪おおつぼの地名もある。小名池田いけだ新庄しんじよう(現田辺市)との境の小湾に位置する。治承二年(一一七八)閏六月二一日付造日前国懸宮役請文案(書陵部蔵壬生家古文書)にみえる「生馬堅田庄(栖カ)寺領」に含まれたと考えられ、三栖みす(跡地は現田辺市)の所領であったと思われる。戦国時代には安宅氏やいち(現上富田町)に本拠を置く山本氏の勢力下にあり、山本氏の家臣堅田式部の支配に属したとされるが明確でない。

慶長検地高目録によると村高五七四石余、小物成五合。元和五年(一六一九)以降和歌山藩田辺領。


堅田村
かただむら

[現在地名]金沢市堅田町かたたまち

河原市かわらいち村の北西に位置。遊行三代智得は時宗血脈相続之次第(来迎寺文書)に「生国加賀堅田」とあることから当地の出身と考えられ、正応三年(一二九〇)頃三〇歳で二代他阿真教の弟子となった。遊行系図(彰考館蔵)によれば入門は三九歳の永仁六年(一二九八)頃であったという。隣接する梅田の光摂うめだのこうしよう寺が加賀北部の時衆の中心地となり、時宗が白山信仰と深く結び付く背景に智得の担った大きな役割が推測される。時衆過去帳(清浄光寺蔵)の一一代自空条に至徳三年(一三八六)正月四日・同年三月二六日にそれぞれ結縁した生一房・大一房の名がみえ、その裏に「堅田」と記され、一七代暉幽に結縁した尼衆「カタ田」の生一房まで堅田の裏書をもつ時衆は六名いる。


堅田村
かただむら

[現在地名]弘前市堅田

弘前城下の北東にあり、同城下から青森町への街道に沿う。北は撫牛子ないじようし村、東は境関さかいぜき村、南東は高崎たかさき村、南西は和徳わつとく村に続く。土淵つちぶち川が村の南端を横切り、東側を北流する。

貞享四年(一六八七)検地帳によれば、村高一三一六・六一八石、うち田方一二三〇・七五四石、畑方八五・八六四石。田位は上々田から下々田まで、斗代は上々田が一・四石と高い。村内に寺社はなく、漆はわずか三本。屋敷地は一四・九一二石、屋敷持は三三名。村高の割合からすれば、屋敷持が少なく、隣接する他村落からの入作者が多かったと思われる。


堅田村
かただむら

[現在地名]富山市水橋堅田みずはしかただ

上市かみいち川左岸沿いに位置し、北は鏡田かがみだ村。村名の由来は、排水の便がよく引締まった土地であったことにちなむと伝える。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高二二八石・免四ツ四歩、小物成は鮭役二匁。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では鮭役二匁が退転となっている(三箇国高物成帳)。天保九年(一八三八)まで草高・免に変化はない(「高免等書上帳」折橋家文書)


堅田村
かたたむら

[現在地名]仁多町三沢みざわ

久月きゆうげつ村の北に位置する。北西は鞍掛くらかけ村。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳では高一四二石余、寛文四年(一六六四)の本田高一三七石余・新田高四石余。「雲陽大数録」では高一一〇石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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