大身村(読み)おおみむら

日本歴史地名大系 「大身村」の解説

大身村
おおみむら

[現在地名]三和町字大身

土師はぜ川の上流大身川に沿う東西に細長い村。「丹波志」に「民家ノ南ヨリ東ノ方ニ牛馬道、谷筋五町斗行、谷川ヲ渡リ十間斗右ノ方ニ少ノ石塚在、船井郡猪鼻村境」とあり東は船井郡と境し、「又在中ヨリ十五町斗行ク向ノ続左ノ谷ハ河合谷、加用村ヨリ道筋同シ牛馬道」と北は河合かわい村の加用かようであった。綾部藩領。

高二三八・一九石、民家一三七戸(丹波志)

佐藤信淵の「巡察記」は当村について次のように記す。

<資料は省略されています>

万延元年(一八六〇)一一月一三日から四日間、船井郡梅田うめだ付近(現瑞穂町)百姓一揆があり、天田郡では天田一揆、船井郡側からは大身騒動とよばれた。この一揆は同年八月福知山藩で起こった一揆市川騒動に触発され、大久保おおくぼ(現船井郡瑞穂町)を中心に蜂起し園部藩に迫ったもので、参加出動しない民家は打毀され、道側の藪竹は切られて裸になったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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