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福知山 フクチヤマ

百科事典マイペディアの解説

福知山【ふくちやま】

丹波国天田(あまた)郡に近世初期に成立した城下町。現京都府福知山市の市街地部にあたる。福知山城(臥竜城)は福知山盆地のほぼ中央に南西から張り出した丘陵端にあり,城下町は由良川を挟んだ対岸に位置する。城下町建設は,中世後期に当地方に勢力をもった塩見氏の居城〈横山城〉の改修とともに明智光秀によって着手されたと伝えるが,その具体的様子は不明。本能寺の変後,福知山城には杉原家次が封じられ(2万石),次いで当地方出身で羽柴秀吉(豊臣秀吉)の重臣となった小野木重勝が3万石の城主となった。関ヶ原の戦で大坂(豊臣)方にくみした重勝が没落したあとは,有馬豊氏が6万石で入封し(のち8万石),福知山藩を立藩。城郭および城下町は豊氏の時代にほぼ整えられた。豊氏は1620年転封となり,あとへ丹波亀山(現京都府亀岡市)から岡部長盛が5万石で入封。1624年長盛転封後は,稲葉紀通(4万5700石),1649年松平忠房(4万5900石)と城主が替わったが,1669年忠房転封後に入封した朽木(くつき)稙昌(3万2000石)を最後に城主の交替はなかった。福知山城を中心に主として北および西に拓かれた城下は,城郭の北側(丸ノ内)と南側に重臣の屋敷を配し,丸ノ内の西方から北方一帯を中下級の士族屋敷とした。町方は丸ノ内の北方で,西部の士族屋敷と北東の由良川堤防との間の直角三角形の地に広がっていた。寺町は城郭の北方,丹後口門を入った京街道沿いに配置されている。1788年の町家数915,人数3303。城下町人の身分は勝手判・立判・平判に3区分されていた。勝手判は年行司以上の町役人勤めの家筋で,多くは家主・地主など。その数は幕末期で120軒。立判は城内に勤める町方住の職人で約10軒。そのほかの借家人・借地人が平判で,幕末期におおよそ850軒ほどであった。町役人は名主2名,町年寄4名で,1町ごとに年行司1名が置かれた。福知山城下には京街道のほか但馬街道,出石(いずし)街道,宮津街道,高浜街道,綾部街道,大坂街道などが通じており,宿場町的性格も強かった。また由良川の水運を利用した河港町でもあり,近世中期までは当地の船屋が船屋株を組織して由良川水運を独占していた。1889年旧城下の町地15町と旧藩地4町が福知山町となり,1937年福知山市となる。

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大辞林 第三版の解説

ふくちやま【福知山】

京都府北西部、福知山盆地の西部にある市。明智光秀が築城し、江戸時代は朽木くつき氏の城下町。丹後牛を産する。日本有数の内陸工業団地がある。

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