日本大百科全書(ニッポニカ) 「園部藩」の意味・わかりやすい解説
園部藩
そのべはん
丹波(たんば)国園部(京都府南丹(なんたん)市)地方を領有した藩。1619年(元和5)8月、但馬(たじま)国出石(いずし)(兵庫県豊岡(とよおか)市)から入部した小出吉親(こいでよしちか)は、中世薗部(そのべ)城を広げて近世園部城を築いた。新城は1621年に完成して吉親は仮館からそこへ移った。天守閣はつくらず、園部陣屋ともよばれた。藩の領域は船井郡、桑田(くわた)郡、何鹿(いかるが)郡にまたがり、上野(こうずけ)国(群馬県)の若干の地をあわせて知行(ちぎょう)高3万石余であった。吉親を初代として10代250余年を継続在封して維新を迎えた。外様(とざま)小藩ではあったが、吉親はたびたび諸藩在番を勤め、大坂城普請(ふしん)にも従事したほか、4代英貞(ふささだ)、5代英持(ふさよし)のごとく奏者番(そうじゃばん)、寺社奉行(じしゃぶぎょう)など幕閣に列する者があった。7代英筠(ふさたけ)は藩校教先館を開いて藩士子弟の教育に心を用い、またこの地方の産物である煙草(たばこ)の専売によって藩財政の再建を図ったが、厳しい年貢諸役の取り立てはついに1787年(天明7)の大百姓一揆(いっき)を招いた。1871年(明治4)廃藩、園部県を経て76年京都府に編入された。
[中嶋利雄]