朝日日本歴史人物事典 「大迫尚敏」の解説
大迫尚敏
生年:弘化1.11.15(1844.12.24)
明治大正期の陸軍軍人。203高地攻略で知られる。薩摩(鹿児島)藩士大迫新造の長男。陸軍大将尚道の兄。造士館に学び,薩英戦争,戊辰戦争に参加。明治4(1871)年御親兵として陸軍少尉に任官,7年大尉。西南戦争(1877)では少佐,熊本鎮台参謀。のち近衛歩兵第1連隊長,参謀本部第1局長などを経て少将,歩兵第5旅団長となり日清戦争(1894~95)に出征。平壌一番乗り,九連城攻略などの武勲を立て,戦後男爵。31年参謀本部次長。33年には第7師団長に転じ,日露戦争(1904~05)に参加。開戦9カ月目の37年11月,内地に残る最後の常設師団旭川第7師団は,旅順要塞を攻めあぐねる第3軍(司令官乃木希典大将)の下に派遣されて第3次攻撃に参加,多大の犠牲を払いつつ203高地占領に成功した。39年陸軍大将に進み,翌年予備役編入,子爵。乃木のあとを受け大正6(1917)年8月まで学習院長を務めた。
(岸本昌也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報