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大迫尚道 おおさこ なおみち

美術人名辞典の解説

大迫尚道

陸軍大将。鹿児島県生。薩摩藩士大迫新造の次男、陸軍大将大迫尚敏の弟。陸士卒。駐独公使館付き武官・陸大教官等を経て、日清戦争で第一軍参謀、日露戦争で第二軍参謀長となる。野戦砲兵監・第一八師団長・第四師団長等を歴任。軍事参議官。昭和9年(1934)歿、81才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大迫尚道 おおさこ-なおみち

1854-1934 明治-大正時代の軍人。
嘉永(かえい)7年7月25日生まれ。大迫尚敏(なおとし)の弟。駐ドイツ公使館付武官,陸軍大学校教官などののち,日清(にっしん)戦争では第一軍参謀,日露戦争では第二軍参謀長をつとめる。第十八師団長,第四師団長などを歴任。大正4年軍事参議官,陸軍大将。昭和9年9月12日死去。81歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。陸軍士官学校卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大迫尚道

没年:昭和9.9.12(1934)
生年:安政1.7.25(1854.8.18)
明治大正期の陸軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士大迫新造の次男。陸軍大将大迫尚敏は兄。明治12(1877)年陸軍士官学校卒業(砲兵科)。参謀本部員,局長を経て22年ドイツへ留学,最新の砲術を学んで帰国。日露戦争(1904~05)には野戦砲兵第2旅団を率いて出征,203高地から旅順港を砲撃してロシア旅順艦隊を壊滅に追い込み,その功で戦後,野砲兵監に進んだ。のちに第4師団長,軍事参議官へ転じ大正4(1915)年大将に昇進した。退役後は救世団を組織,愛国思想の鼓吹に努めた。また大正9年の東京市電ストライキの仲裁に当たり,免職になった職員の多くを明治神宮造営事業にあっせんするなど,武人一辺倒ではない多彩な活動をみせた。

(山崎有恒)

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