朝日日本歴史人物事典 「大道長安」の解説
大道長安
生年:天保14.4.1(1843.4.30)
江戸末から明治時代の曹洞宗の僧。新仏救世教の教祖。救世仁者と号し,忍哉童子,無争堂主人,雪隣斎,妙力門主人と称す。越後国蒲原郡新発田(新潟県新発田市)の本田文八の次男。はじめ,機外禅透と称す。江戸駒込吉祥寺旃檀林(駒沢大学)に学ぶ。美作(岡山県)大道山長安寺住職のとき大道長安と改名。郷里に戻り,明治19(1886)年に曹洞宗の僧籍を離脱し救世教の開教を宣言。観音信仰中心の在家主義の新仏教運動で,社会救済事業なども実践した。<著作>『大道長安仁者全集稿本』<参考文献>大道英仙『大道長安師伝』,大道晃仙『大道長安の研究』,池田英俊『明治の新仏教運動』
(熊本英人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報