大野瀬村(読み)おおのせむら

日本歴史地名大系 「大野瀬村」の解説

大野瀬村
おおのせむら

[現在地名]稲武町大野瀬

野入のいり川の右岸野入村下流にあたる。天正一八年(一五九〇)宮部是常坊の検地を受けたと伝え、大野瀬村検地帳(北設楽郡史)によると、反別五町五反余・高五一石余で、七人の本百姓がみられる。うち大野瀬四、梨野なしの二、河上瀬かしようぜ一で、大桑おおくわ集落はみられない。寛永一八年(一六四一)の検地帳に大桑分一町一反余がみられ、本百姓は四人を数える。大桑は三国みくに峠の中腹にあり、美濃岩村藩の口留番所が置かれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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